引退はまだ早い?! 遅咲きの努力家スラッガー《和田一浩》
【和田一浩】
中日ドラゴンズ #5 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岐阜県岐阜市 |
生年月日 | 1972年6月19日(43歳) |
身長 体重 |
182 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、捕手、一塁手[1] |
プロ入り | 1996年 ドラフト4位 |
初出場 | 1997年4月30日 |
年俸 | 2億円(2015年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2004年 |
WBC | 2006年 |
【経歴】
①プロ入り前
県立岐阜商業高校時代は、2年時に控え捕手として甲子園出場。
高校卒業後、東北福祉大学に進学。
4年間で首位打者1回、ベストナイン2回を獲得する。4年時には主将を任され、春のリーグMVPに輝いた。
大学卒業後は社会人野球の神戸製鋼に入社。
社会人通算.429の打率を残す。
②西武時代
強打の捕手として1996年のドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。
背番号は22。
▶︎1997年〜2001年は主に捕手として出場
1997年〜1999年
1年目から、主に捕手として一軍試合出場を果たすも特にこれといった成績は残せず。
2000年
「22」だった背番号は、当時中嶋聡がつけていた背番号と交換して「5」になった。
2001年
監督の東尾修に「次世代を担うバッテリー」として松坂大輔と開幕戦でスタメン起用された。
同年は結局、守備位置は外野手との併用となったが打撃は好調で16本塁打、規定打席未満ながら打率.306を打って注目を集めた。
▶︎2002年〜2007年 正式に外野手へ転向しついに大成!!
2002年
新たに監督に就任した伊原春樹の勧めでこの年から外野者一本に絞り、「5番・左翼手」のレギュラーに定着。
30歳にして初めて規定打席に到達し、打率.319、33本塁打、81打点と、定着1年目から中軸打者として申し分ない成績を残し、優秀に貢献した。
2003年
前年より成績を上げ、打率.346、30本塁打、89打点を記録。
2004年
打率.320、30本塁打、89打点の成績で、3年連続の3割30本80打点を達成!
2005年
シーズン打率.322で初の個人タイトルとなる首位打者を獲得。
同時に最多安打のタイトルも獲得した。
中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、打率.310、4本塁打、6打点で12ぶりの日本一に貢献し、優秀選手に選ばれた。
2006年
打率.298で本塁打19本、自己最多の95打点を記録。
惜しくも5年連続打率3割はならなかった。
チーム名メイトの赤田将吾と並んでリーグ最多捕殺を記録。
2007年
通算1000本安打を達成。
前年より打率を上げてリーグ3位の打率.315を記録。
本塁打はレギュラー定着後最低の18本、打点は前年の約半分の49に終わった。
和田一浩 2004年日本シリーズ第6戦 2打席連続ホームラン - YouTube
③中日時代
2007年に初取得したFA権を行使し、中日ドラゴンズとの入団交渉の末、地元の岐阜に最も近い球団という事もあり、本人曰く「幼いことからのあこがれの球団」である中日への移籍を数分で即決。背番号は西武時代と同じ「5」に決定した。
▶︎2008年〜2015年 新天地でも持ち前の勝負強い打撃を発揮!!
▶︎2008年
中日入団1年目も、西武時代と同じく5番を任される。この年通算1000試合出場を達成。
2年連続3割を打つなど活躍したが、16本塁打、74打点、得点圏打率は.275とチャンスでは期待されたほどの成績を残せなかった。
▶︎2009年
6月21日に通算4000打数に到達し、通算打率.315で歴代6位にランクイン。日本人右打者最高となった。
この年初めてシーズン全試合に出場し、打率.302で7度目の3割を記録し、29本塁打、87打点、出塁率.382と前年より大きく成績を上げ、打撃主要部門全てでリーグトップ10に入った。
守備面でも元捕手の強肩かつ堅実な早急で12捕殺を記録し、2年連続セ・リーグ最多捕殺に輝いた。
▶︎2010年
序盤から打撃が好調で、最終的に全試合出場で打率.339、37本塁打、93打点とチーム三冠、自己最多本塁打の活躍でチームの4年ぶり優勝に大きく貢献した。
自身初となるシーズンMVP及び自身6度目・中日移籍後は初となるベストナイン(外野手部門)に選出された。
新たに3年総額12億円で契約を結んだ。
▶︎2011年
統一球の影響や視力低下もあってバッティングを崩し、年間を通じて成績は打率.232、12本塁打、54打点と低迷した。
日本シリーズでは優秀選手賞に選ばれた。
▶︎2012年
2年ぶりに全試合出場を果たしたものの、最終的には本塁打9本に終わり、12年ぶりに二桁に届かなかった。
完全復活とはならなかったものの、リーグ2位の32二塁打を放ち、チームの規定打席到達者の中ではトップとなる得点圏打率.305を記録するなど統一球には見事に適応した。
▶︎2013年
前年の2倍の18本塁打を記録したが、打率.275と前年を下回り、リーグワースト・自己ワーストの26併殺打を喫した。
契約変更で8000万円減とプロ入り最大の減俸となった。
▶︎2014年
4月8日にプロ通算300号本塁打を放った。
41歳9ヶ月での300本塁打達成は史上最年長、大学卒業から社会人を経てプロ入りした選手としては史上初の記録となった。
▶︎2015年
6月11日、史上最年長42歳11ヶ月での2000安打を達成した。史上45人目。
8月15日、史上3人目のセパ両リーグ1000安打を達成する。
9月19日にナゴヤドーム内で正式に記者会見を開き、今季限りで現役を引退することを表明した。
勝負強い打撃は、今もなお健在で引退を惜しむ声も多い。
祝 ドラゴンズ和田一浩選手 2000本安打達成 - YouTube
▶︎年度別個人成績はこちら※太字はリーグトップ
年 度 | 所属球団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 刺 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 長 打 率 | 出 塁 率 |
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1997 | 西 武 | 17 | 22 | 21 | 2 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .190 | .238 | .190 |
1998 | 西 武 | 36 | 57 | 51 | 8 | 17 | 2 | 0 | 3 | 28 | 8 | 3 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 11 | 3 | .333 | .549 | .382 |
1999 | 西 武 | 20 | 53 | 48 | 5 | 13 | 2 | 1 | 0 | 17 | 3 | 3 | 0 | 1 | 1 | 3 | 0 | 8 | 1 | .271 | .354 | .308 |
2000 | 西 武 | 55 | 189 | 170 | 20 | 52 | 10 | 0 | 1 | 65 | 24 | 9 | 2 | 0 | 3 | 15 | 1 | 17 | 6 | .306 | .382 | .360 |
2001 | 西 武 | 82 | 236 | 206 | 36 | 63 | 7 | 2 | 16 | 122 | 34 | 5 | 5 | 5 | 2 | 23 | 0 | 23 | 6 | .306 | .592 | .372 |
2002 | 西 武 | 115 | 472 | 439 | 64 | 140 | 25 | 2 | 33 | 268 | 81 | 5 | 3 | 2 | 3 | 27 | 1 | 74 | 14 | .319 | .610 | .357 |
2003 | 西 武 | 126 | 540 | 468 | 87 | 162 | 34 | 5 | 30 | 296 | 89 | 8 | 5 | 0 | 3 | 66 | 3 | 46 | 10 | .346 | .632 | .428 |
2004 | 西 武 | 109 | 473 | 394 | 79 | 126 | 21 | 1 | 30 | 239 | 89 | 6 | 2 | 0 | 4 | 71 | 4 | 59 | 14 | .320 | .607 | .425 |
2005 | 西 武 | 129 | 542 | 475 | 80 | 153 | 32 | 3 | 27 | 272 | 69 | 3 | 3 | 0 | 5 | 60 | 2 | 66 | 17 | .322 | .573 | .397 |
2006 | 西 武 | 131 | 566 | 484 | 72 | 144 | 34 | 2 | 19 | 239 | 95 | 3 | 3 | 0 | 4 | 78 | 0 | 84 | 14 | .298 | .494 | .392 |
2007 | 西 武 | 138 | 548 | 501 | 77 | 158 | 23 | 1 | 18 | 237 | 49 | 7 | 1 | 0 | 2 | 42 | 3 | 65 | 22 | .315 | .473 | .370 |
2008 | 中 日 | 136 | 560 | 520 | 60 | 157 | 34 | 4 | 16 | 247 | 74 | 1 | 2 | 0 | 4 | 34 | 2 | 71 | 16 | .302 | .475 | .345 |
2009 | 中 日 | 144 | 592 | 517 | 73 | 156 | 24 | 4 | 29 | 275 | 87 | 5 | 2 | 0 | 5 | 68 | 2 | 56 | 16 | .302 | .532 | .382 |
2010 | 中 日 | 144 | 602 | 505 | 94 | 171 | 29 | 2 | 37 | 315 | 93 | 5 | 0 | 0 | 5 | 92 | 0 | 77 | 12 | .339 | .624 | .437 |
2011 | 中 日 | 131 | 522 | 444 | 49 | 103 | 24 | 4 | 12 | 171 | 54 | 6 | 3 | 0 | 4 | 72 | 2 | 64 | 12 | .232 | .385 | .339 |
2012 | 中 日 | 144 | 586 | 508 | 52 | 145 | 32 | 2 | 9 | 208 | 63 | 2 | 0 | 0 | 6 | 71 | 1 | 72 | 14 | .285 | .409 | .370 |
2013 | 中 日 | 142 | 581 | 495 | 63 | 136 | 21 | 2 | 18 | 215 | 76 | 2 | 2 | 0 | 7 | 77 | 2 | 63 | 26 | .275 | .434 | .370 |
2014 | 中 日 | 90 | 356 | 302 | 40 | 85 | 12 | 2 | 16 | 149 | 65 | 2 | 1 | 0 | 5 | 45 | 4 | 38 | 11 | .281 | .493 | .376 |
2015 | 中 日 | 79 | 234 | 218 | 16 | 65 | 8 | 0 | 5 | 88 | 26 | 1 | 0 | 0 | 0 | 14 | 2 | 40 | 9 | .298 | .404 | .346 |
通 算 | 1968 | 7731 | 6766 | 977 | 2050 | 375 | 37 | 319 | 3456 | 1081 | 76 | 35 | 11 | 63 | 862 | 29 | 938 | 223 | .303 | .511 | .381 |
【タイトル】
・首位打者(打率.322):1回(2005年)
・最多安打(153安打):1回(2005年)
【表彰 】
・最優秀選手賞:1回(2010年)
・ベストナイン:6回(DH部門:2002年、外野手部門:2003~2006年、2010年)
・日本シリーズ優秀選手賞:2回( 2004年、2011年)
【遅咲きの努力家は愛されキャラ?!】
▶︎27歳の通算成績・・・
なんJ PRIDE : 【西武】和田一浩(27)の通算安打数wwwwwwww
▶︎2000安打の9割が30歳以降!
▶︎まだやれる!?
三大まだやれるのに引退した選手 金本知憲 和田一浩 : やきゅデタ速報
▶︎愛されキャラ!ベンちゃん!
最年長2000本安打・中日 和田一浩「意外な愛され力」秘話 - エキサイトニュース
【その他の情報】
・強打者であるが、本人は「僕はホームランバッターじゃないから」と言っている。
本人曰く、「ホームランバッターは打ち損じがヒット。僕の場合はヒットの延長がホームラン」と語っている。
・マラソンの高橋尚子とは高校時代の同級生。だが、在学中に二人で話したことは一切なかったらしい。
・第55回NHK紅白歌合戦に、審査員として出演したことがある。(アテネ五輪出場とシーズン中の功績が評価された)
・2002年シーズンに和田を外野手に固定させた伊原は、捕手としての和田について後に「性格がよく、相手打者の裏をつくリードが出来なかった。それでは1シーズン通してでは問題がある」と語っている。
【引退特集】
中日・和田一浩引退会見 「夢のような時間だった」 | おはDちゃんねる@なんj