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2桁勝利請負人!ヤクルトの小さな巨人《石川雅規》

石川雅規

 

東京ヤクルトスワローズ #19
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基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 秋田県秋田市
生年月日 1980年1月22日(35歳)
身長
体重
167 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 自由獲得枠
初出場 2002年4月4日
年俸 1億8,000万円(2015年)
2014年から3年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2000年

 

 

【経歴】

 

①プロ入り前

 

秋田市立秋田商業高等学校ではエースとして、第79回全国高等学校野球選手権大会に出場。

1回戦は和田毅擁する浜田高等学校を相手に好投し完投勝利するも、続く2回戦で8失点を許し、敗退。

 

 

 

 

 

1998年に青山学院大学へ進学。スクリューボールを習得し、東都大学リーグではエースとして活躍。

大学3年生ではシドニーオリンピックに出場。

大学時代の通算記録は、51試合23勝8敗、防御率1.63、ベストナイン3回(2年生春・秋、4年生春)を受賞した。

 

 

www.youtube.com

第79回選手権大会・1回戦:秋田商対浜田 - YouTube

 

 

②プロ入り後

 

2001年、自由獲得枠でヤクルトスワローズに入団。

 

 

 

 

 

▶︎1年目(2002年)

春季キャンプで一軍に帯同。

開幕一軍こそ逃したものの、4月4日の広島東洋カープ戦で先発。6回2/3を無失点で抑えて初勝利を挙げた。

新人ながらローテーションを守り続け、12勝をマークし、新人王を受賞した。秋田県出身とは初受賞。

 

▶︎2年目(2003年)

2年目のジンクスは全く感じさせず、年間を通してローテーションを守り抜く。

7月13日に地元・秋田で凱旋登板し、勝利を収めて故郷に錦を飾った。

この年は12勝をマークして優秀JCB・MEP賞を受賞した。

オフに青山学院大学で同級生だった元客室乗務員と結婚した。

 

▶︎3年目(2004年)

春季キャンプ中に発症した左肘痛の影響で開幕は二軍スタート。

4月半ばに一軍に昇格。昇格後はローテーションを守り抜き、11勝をマーク。

オフに長男が生まれた。

 

▶︎4年目(2005年)

オフに左足を疲労骨折したが、開幕には間に合わせる。

初の開幕投手を務め、7回1失点で勝利を収める。

6月には交流戦の休養日の影響で自身初のシーズン中の二軍落ちを経験。

最終的には10勝をマークし、球団史上3人目となる入団 から4年連続で2ケタ勝利を記録した。

 

▶︎5年目(2006年)

2年連続で開幕投手を務め、6回2失点で勝利投手となる。

7月、監督推薦でオールスターゲームに初出場。

チームのローテーション投手が安定しない中、唯一1年を通してローテーションを守り切り10勝をマーク。

ヤクルトでは球団史上初、セ・リーグでは3人目の、入団から5年連続の2ケタ勝利を達成した。

 

▶︎6年目(2007年)

シーズン序盤は不調に苦しみ、中継ぎへ配置転換される。

5月に2軍に降格。再び昇格するものの6月に再度二軍に降格した。

シーズン中盤からは復調し、7点台だった防御率を4点台まで改善させた。

9月13日の読売ジャイアンツ戦でプロ初完封を果たす。

成績は序盤の大不振がたたり、入団後初めて規定投球回に到達せず、自己最低の4勝に終わった。

 

▶︎7年目(2008年)

投手キャプテンに就任。シュートを習得してシーズンに臨んだ。

自身3度目の開幕投手を務め、6回2/3を2失点で勝利投手となった。

4月までに5勝、防御率1点台をマークし、月間MVPを受賞。交流戦では12球団1位の防御率1.18という好成績を残した。

最終的に自己最多イニング数を投げ、前年の不振を活躍を見せ、12勝を挙げた。

防御率は2.68を記録し初タイトルとなる最優秀防御率を獲得した。また、ゴールデングラブ賞を受賞した。(投手部門での受賞は球団初

 

▶︎8年目(2009年)

選手会長を務める。2年連続の開幕投手になったが、4回5失点でKOされ敗戦投手になった。

前半戦は不調だったが、後半戦から調子を取り戻し、館山昌平と共にヤクルト投手陣の屋台骨を支えた。

クライマックスシリーズ出場を賭けた10月9日の阪神タイガース戦では7回1/3を自責点0で勝ち投手となり、チーム初のクライマックスシリーズシリーズ出場に貢献した。

この年 は自己最多の13勝を記録し、勝率はプロ入り8年目で初めて6割を超えた。

 

▶︎9年目(2010年)

 3年連続の開幕投手を務めたが、調子が上がらず6連敗、防御率は4点台と安定感を欠いていた。

6月終了の時点では2勝8敗と散々な成績だった。

しかし7月以降に急激に盛り返す。7月には自身2度目の月間MVPに輝き、無傷の11連勝を記録するなど抜群の安定感を誇った。

最終的には13勝8敗、防御率3.53と前年とほぼ同じ成績まで持ち直してシーズンを終えた。

 

▶︎10年目(2011年)

4年連続の開幕投手を務めた。

5月14日の横浜ベイスターズ戦で史上128人目の通算100勝を達成した。(球団では通算5人目)

この年は勝ち星が思うように伸びなかったが、最終的に10勝をマーク、4年連続の2ケタ勝利を達成した。

 

▶︎11年目(2012年)

5年連続の開幕投手を務め、史上初の開幕戦ノーヒットノーランは果たせなかったが、巨人打線を9回1死まで無安打に抑えた。球団新記録の開幕戦4勝目を挙げた。

8月21日の巨人戦で谷佳知から史上132人目の通算1000奪三振を達成。

しかし、シーズン通しての防御率は3点台後半にとどまり、2ケタ勝利も途切れた。

 

▶︎12年目(2013年)

新球フォークを習得して臨んだシーズン、この年はチームの低迷に沿うように自身の勝利数も伸び悩む。 

11度目となる規定投球回数に到達し、前年度より成績は持ち直したものの、不運な失点や途中離脱も重なり役割を全うできないシーズンとなった。

 

▶︎13年目(2014年)

開幕から絶不調で、3,4月の月間防御率は7.24と打ち込まれる登板が続いた。

しかし5月以降徐々に調子を上げ、最終的にはチーム唯一ローテーションを1年間守り切り、唯一規定投球回に到達。

両リーグ1位の援護率5.86と強力打線にも恵まれ、自身3年振り10度目の二ケタ勝利を達成。

ただし、四球は自己最多、昨年より防御率は悪化し規定投球回に到達したなかでしゃセリーグ最下位に陥るなど、課題も残るシーズンとなった。

 

▶︎14年目(2015年)

シーズン序盤は調子が上がらず登録抹消された期間もあったが、8月25日の登板以降は6連勝を記録し、チームの14年振りのリーグ優勝に貢献した。

 9月の成績は、5戦5勝防御率1.21と抜群の安定感で9月の月間MVPを受賞した。

現役最多11度目の2ケタ勝利を達成し、自身最多タイとなる13勝を記録した。 

 

 

www.youtube.com

ヤクルト石川 8回までノーヒットピッチングで巨人に開幕戦勝利 2012.3.30 - YouTube

 

 

▶︎個人年度別成績はこちら(2015年シーズン終了現在)※太字はリーグ最多


 
所属球団
 

 

 





 





 

 


 
 



 

 

 

 



 




2002 ヤクルト 29 12 9 0   2 0 2 .571 735 178 .1 183 20 29 2 104 5 3 76 66 3.33
2003 ヤクルト 30 12 11 0   3 0 2 .522 793 190   201 21 33 7 97 3 1 88 80 3.79
2004 ヤクルト 27 11 11 0   1 0 0 .500 708 163 .1 200 21 22 5 72 4 1 90 79 4.35
2005 ヤクルト 26 10 8 0 0 0 0 0 .556 637 149 .2 180 18 24 4 105 7 0 82 81 4.87
2006 東京ヤクルト 29 10 10 0 0 0 0 0 .500 648 151   191 12 17 3 81 4 0 82 76 4.53
2007 東京ヤクルト 26 4 7 0 2 3 2 2 .364 405 96 .2 104 15 16 5 50 2 0 51 47 4.38
2008 東京ヤクルト 30 12 10 0 1 3 1 2 .545 792 195   180 21 41 4 112 2 0 59 58 2.68
2009 東京ヤクルト 29 13 7 0 0 3 0 0 .650 810 198 .1 203 25 28 6 84 4 0 81 78 3.54
2010 東京ヤクルト 28 13 8 0 0 2 1 1 .619 783 186 .1 209 20 27 7 98 9 0 81 73 3.53
2011 東京ヤクルト 27 10 9 0 0 1 0 0 .526 731 178 .1 168 18 42 5 127 1 0 57 54 2.73
2012 東京ヤクルト 27 8 11 0 0 2 1 0 .421 721 172 .2 175 14 41 5 100 4 0 77 69 3.60
2013 東京ヤクルト 24 6 9 0 0 2 0 1 .400 623 148 .1 149 15 33 6 85 6 1 73 58 3.52
2014 東京ヤクルト 27 10 10 0 0 2 2 0 .500 725 165   181 20 49 6 101 2 0 97 87 4.75
2015 東京ヤクルト 25 13 9 0 0 1 1 1 .591 598 146 .2 150 16 28 3 90 3 0 59 54 3.31
  通 算 384 144 129 0 3 25 8 11 .527 9709 2319 .2 2474 256 430 68 1306 56 6 1053 960 3.72

 

 

【タイトル】

最優秀防御率:1回(2008年)

 

 

【表彰】

・新人王(2002年)

・スピードアップ賞:1回(2002年)

・優秀JCB・MEP賞(2003年)

ゴールデングラブ賞:1回(2008年)

・月間MVP:3回(2008年3・4月、2010年7月、2015年9月)

・最優秀バッテリー賞:1回(2015年、捕手:中村悠平

 

 

 

【石川選手の珍エピソード】

 

エピソード①

2005年5月9日のソフトバンクホークストニー・バティスタ死球を当て、走りながら向かってくるそぶりを見せたバティスタから逃げだしたことがある。

実際、バティスタ本人は走って行く動きだけで乱闘はせず、そのまま一塁まで走っていった。

これには石川本人も苦笑いを見せ、ソフトバンクベンチから笑いが起こった。

さらに動揺しているところを次の打者の松中信彦にツーランホームランを打たれた。

この様子はプロ野球珍プレーなどでたびたび紹介されている。

 

www.youtube.com

バティスタ デッドボールで乱闘!! - YouTube

 

 

エピソード②

2005年オフに川島亮米野智人青木宣親と自主トレをした際に、サザエさんの登場人物である「磯野カツオ」似ている風貌から、青木に「カツオ」ニックネームを付けられた。

本人も気に入っているようで、石川の着るアンダーシャツの首の部分には鰹をデザイン

したマークが入っている。

 

 

 

2009年から球団でも「カツオボーイフィギュア」を販売するなど、カツオキャラクターを使ったファンサービスを行っている。

ヤクルトの球団マスコットのつば九郎からは「かつおくん」と呼ばれている。

2008年の日本シリーズでの岸孝之の活躍に刺激を受け、オフに90km/h前後のスローカーブを習得。

カツオカーブ」と名付ける。本人のあだ名と、鰹の泳ぐ速さがおそよ80km/hであることからきている。

 

www.youtube.com

カツオカーブ - YouTube

 

 

 

【その他の情報】

 

 

・四球が少なく、通算与四球率1.67を記録している。これは「精密機械」と呼ばれた北別府学の1.90、小山正明の1.80といった名投手達の記録を上回っており、かつ通算2000投球回数以上に達している投手の中では最高記録である。

 

 

・脚力があり、2006年には選手兼任監督だった古田敦也代走として途中出場したことがある。

 

 

・打撃も比較的得意であり、2003年には1試合複数安打を3度記録、2007年までに1試合3打点も2度達成している。打撃練習が好きで、プロで本塁打を打つことを目標のひとつにしている。

 

 

・ロジンバックに触れた後、手についたロジンを息で拭き落とすという動作を投球前に頻繁に行う。