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プロ野球Wikipedia

戦後のプロ野球選手のデータをどんどん更新していきます

突然の引退に松坂大輔もビックリ!!パームボールの使い手軟投派左腕《帆足和幸》

帆足和幸

 

帆足 和幸
HAWKS11-HOASHI.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県小郡市
生年月日 1979年7月15日(36歳)
身長
体重
180 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト3位
初出場 2001年3月27日
年俸 5,500万円(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

 

 

【経歴】

 

 

①プロ入り前

 

福岡県小郡市出身。地元の少年野球チーム「立石ファイターズ」で野球を始める。

小郡市立中学校を経て福岡県立三井高学校へ入学。2年生の時に筑後地区大会で高校初の優勝に導く。

卒業後は九州三菱自動車硬式野球部に進み、主力左腕投手として台頭した。(当時の背番号は47)

 

 

②西武時代

 

2000年、西武ライオンズより3位指名を受け、入団。入団当時の背番号は48

 

 

 

 

 

▶︎1年目(2001年)

3月27日開幕第3試合目のオリックス・ブルーウェーブ戦で先発の西崎幸広が右足内転筋を痛め0回1/3で降板し、帆足が初出場となる緊急登板となった。

5回1死まで5連続三振など無失点に抑えたが、その後に4失点を喫し降板。代わった潮崎哲也が後続を抑え、4回1/3を投げて4失点ながらプロ初勝利を手にした。

しかしその後は勝ち星を挙げれず、最終的に1勝・防御率9.00でシーズンを終え、プロの洗礼を受けた1年だった。

一方イースタン・リーグでは16試合に登板し、防御率2.34(リーグ2位)、勝率.750(リーグ2位)、78奪三振(リーグ4位)、2完投とチームのリーグ優勝に貢献した。

 

▶︎2年目(2002年)

9月10日に一軍へ昇格し、敗戦処理3試合のみの登板でシーズンを終え、防御率6.00だった。

二軍では勝率第1位投手(勝率.875)として表彰された。防御率2.02(リーグ2位)、完封勝利2回(リーグ1位タイ)の成績を残し、イースタン・リーグ優勝に貢献。

 

▶︎3年目(2003年)

5月20日に一軍へ昇格し、先発・中継ぎに両方で起用された。

先発での3連続ノックアウトを経て迎えた6月25日の千葉ロッテマリーンズ戦で先発で6回1失点と好投し、3年目にしてプロ入り初の先発勝利を手にした。

8月17日からはシーズン終了まで中継ぎとなり、プロ初セーブなども記録した。

最終的に先発9試合で2勝4敗、防御率6.00、WHIP1.73。

中継ぎでは3点差以内の登板が多く、2勝3敗1セーブ3ホールド、防御率3.38、WHIP1.42だった。

 

▶︎4年目(2004年)

開幕を一軍で迎えて先発ローテーション4枚目として月間防御率4.18ながら先発で4連勝と4月は負け無しだった。

5月から8月末までは、結果を残せず、中継ぎへ戻されたり二軍落ちなども経験した。

しかし、8月末から巻き返し自己最長となる5連勝を達成するなど、プロ4年目で初の2桁勝利を挙げた。

 

▶︎5年目(2005年)

開幕3戦目の先発としてスタートし、1度も抹消されることなく先発ローテーションを守った。

監督推薦でオールスターゲームに初選出され、第2戦の3番手として初登板した。

プロ入り初の規定投球回に到達、2度の完封勝利を果たすなどキャリアハイの13勝を挙げライオンズの左のエースとなった。

 

▶︎6年目(2006年)

西武時代に工藤公康がつけていた背番号47細川亨から譲り受けた。

開幕を一軍で迎え3戦目に先発し、勝敗はつかなったが8回1失点で好スタートを切った。

その後も安定して試合を作っていたが、5月に調子を落とし月間防御率9.75となり二軍へ降格した。

復帰後は主にリリーフとして登板していたが、7月に左肩の肉離れで戦線離脱しそのままシーズンを終えた。

 

▶︎7年目(2008年)

前年のケガの影響で開幕は二軍スタート。

7月1日に一軍復帰し、同日の楽天戦で6回2/3を1失点と好投し1年ぶりの勝利を挙げた。

しかしその後4試合で先発3連敗し、一旦敗戦処理となったものの、再び先発に戻った。

9月17日の楽天戦では9回を2安打1四球にまとめて約2年ぶり、自身3度目の完封勝利を挙げた。

先発登板12試合のうち8試合で自責点が3以上という内容で2勝7敗と大きく負け越し、5年連続で4点台を記録した。

 

▶︎8年目(2009年)

春季キャンプでチェンジアップを習得。

5月4日と5月11日で2試合連続完封勝利を挙げ、西武ライオンズの投手では松坂大輔以来、左腕投手では工藤公康以来となる16年ぶりの快挙だった。

オールスターゲームに再び監督推薦で選出。第1戦の4番手として登板し、逆転され敗戦投手となった。

9月13日の楽天戦で9回を3安打2四球に抑えて、リーグ最多とるシーズン3度目の完封勝利を挙げた。

最終的にリーグ4位の防御率2.63を残し、11勝を挙げ、チーム最多の174回2/3を投げ、QS率も69.2とチーム随一の働きでリーグ優勝に貢献した。

 

▶︎9年目(2010年)

開幕2戦目に先発しローテーションに入るも4月は援護に恵まれず0勝2敗。

5月9日に福岡Yahoo!JAPANドームで行われたソフトバンク戦で完封は逃したもの9回途中1失点で好投し、9年目にして故郷福岡県でのプロ入り初勝利を手にした。

8月28日から9月25日まで5試合連続完投を記録し、9月の月間成績は4試合連続完投勝利、防御率0.50で自身初の月間MVPも受賞した。

最終的に規定投球回を投げ、9勝6敗、防御率3.59でシーズンを終えた。

オフに工藤公康の西武復帰が決定したことで、一時は自身が付けている背番号47を返上する意向を見せたが、工藤が固辞して55を選択したため、翌年以降も引き続き背番号47を着用することになった。

 

▶︎10年目(2011年)

4月4日から5月22日までデーゲームで6連勝した。

7月11日から連続ノックアウトされ再調整で二軍へ行き、8月1日に再び戻り、規定投球回数を投げ2年ぶりの2桁勝利を達成した。

リーグ優勝のソフトバンクに対しては4試合先発して3勝0敗と苦しめた。

 

▶︎11年目(2012年)

選手会長に就任。

開幕2試合目から先発ローテーションに入り、5月16日にソフトバンク戦で勝利投手となり、ソフトバンク戦6連勝を果たす。

5月を3勝0敗で過ごしたが、それ以降は7月に先発で4試合連続敗戦となるなど、結果を残せず。

9月に入ってから得意のソフトバンク戦で自身1ヶ月ぶりの勝利を挙げるなど徐々に調子を取り戻した。

CS出場がかかった試合で2試合連続好投するなどチームのCS進出に貢献。

しかし、CSファイナルステージ第1戦のソフトバンク戦に先発するも、5回1/3を4失点で敗戦投手となった。

 

www.youtube.com

試合中盤の得点が帆足を援護 5月9日 ソフトバンク1-4西武 試合ハイライト - YouTube

 

 

 ③ソフトバンク時代

 

2011年シーズン終了後に、国内FA権を行使し12月13日に福岡ソフトバンクへの移籍を表明した。

12月23日に正式入団を発表し、背番号は11になった。

 

 

 

▶︎1年目(2012年)

春は紅白戦、オープン戦ともに制球に課題を残し調整遅れで開幕一軍から漏れた。

4月15日の千葉ロッテ戦で先発として移籍後初登板を果たしたが、5安打4四死球の大乱調で2回2/3を投げ4失点でノックアウトされ、その翌日に二軍降格となった。

左肩腱板の炎症により一軍登板はその1試合のみでシーズンを終えた。

オフの12月4日にオリックスからFAで加入した寺原隼人の入団に伴い、背番号が11から西武時代に着用していた47に変更になった。

 

▶︎2年目(2013年)

4月17日の楽天戦で先発し5回を無失点に抑え、2011年9月29日以来、566日ぶりの勝利となる移籍後初勝利を挙げた。

交流戦では5月17日から先発で4戦4連勝し、23回1/3を投げわずか自責3、防御率1.16とチームの交流戦優勝に貢献した。

昇格と降板を繰り返しながら18試合に先発し8勝7敗、防御率4.75だった。 

 

▶︎3年目(2014年)

オープン戦で結果が出せず開幕は二軍で迎えた。

5月1日に一軍へ昇格し、同日の対オリックス戦で勝利すると、次の5月7日の日本ハム戦も連勝しスタートを切った。

6月6日の広島東洋カープ戦で3年ぶりの完投勝利を挙げるなど、交流戦では4試合を投げ、防御率2.30を残した。

7月9日のオリックス戦で勝利投手となり、自身負け無しの6連勝を達成した。

7月16日のロッテ戦で自己ワーストを更新する自責11を記録し、連勝も止まった。

8月19日に抹消されその後再昇格は無かったが、最終的には6勝1敗とチーム2位の貯金5を挙げリーグ優勝に貢献した。

しかし、ポストシーズンゲームはベンチ入りできなかった。

 

▶︎4年目(2015年)

6月28日の楽天戦で今季初登板し初勝利を飾ったが、最終的にわずか3試合の登板で1勝をあげるにとどまった。

いずれも先発登板で6回3失点以内と試合をつくったものの、来季の戦力構想から外れた。

そのこともあり、チームの日本シリーズ進出後に「千賀、東浜と若い選手も出てきているし、そろそろ潮時」と引退を決断した。

10月18日、「上の子2人に記者会見を味わせたい」と娘2人を同伴して臨んだ引退会見では、「FAで福岡に来た時から福岡で野球を終えようと思っていた」ことを明かした。

 

 

www.youtube.com

2013.04.17 E1-5H 帆足が移籍後初勝利!ソフトバンク4連勝! - YouTube

 

  

▶︎個人年度別成績はこちら(2015年シーズン終了現在)※太字はリーグ最多


 
所属球団
 

 

 





 





 

 


 
 



 

 

 

 



 




2001 西  武 8 1 3 0   0 0 0 .250 125 23   38 3 20 1 21 1 1 32 23 9.00
2002 西  武 3 0 0 0   0 0 0 .000 37 9   12 0 0 0 6 0 0 6 6 6.00
2003 西  武 34 4 7 1   0 0 0 .364 431 95 .2 105 11 45 7 73 3 1 50 49 4.61
2004 西  武 24 10 3 0   1 0 0 .769 475 104 .2 117 11 47 5 80 1 0 59 50 4.30
2005 西  武 26 13 8 0 0 3 2 0 .619 677 158 .2 179 13 31 8 121 4 0 81 71 4.03
2006 西  武 17 5 2 0 1 0 0 0 .714 334 75 .1 92 11 19 6 50 4 0 41 39 4.66
2007 西  武 14 2 7 0 0 1 1 0 .222 333 79 .2 83 9 13 3 40 2 0 41 38 4.29
2008 埼玉西武 27 11 6 0 0 3 3 0 .647 724 174 .2 169 13 38 5 115 5 0 59 51 2.63
2009 埼玉西武 25 9 6 0 0 5 2 2 .600 692 163   175 10 40 5 126 3 0 70 65 3.59
2010 埼玉西武 27 11 8 0 0 1 1 0 .579 692 163 .1 173 13 35 12 104 3 0 72 67 3.69
2011 埼玉西武 26 9 6 0 0 2 1 0 .600 691 168 .2 172 10 34 8 102 2 0 59 53 2.83
2012 福岡ソフトバンク 1 0 1 0 0 0 0 0 .000 15 2 .2 5 0 3 1 1 0 0 4 4 13.50
2013 福岡ソフトバンク 19 8 7 0 0 0 0 0 .533 413 98 .1 98 5 40 6 46 1 1 50 50 4.58
2014 福岡ソフトバンク 13 6 1 0 0 1 0 0 .857 312 71 .1 82 6 20 4 40 1 0 40 36 4.54
2015 福岡ソフトバンク 3 1 0 0 0 0 0 0 1.000 75 18 .1 21 2 3 0 12 1 0 7 7 3.44
  通 算 267 90 65 1 1 17 10 2 .581 6026 1406 .1 1521 117 388 71 937 31 3 671 609 3.90

 

 【表彰】

・月間MVP:1回(2009年9月)

 

 

【引退特集】

 

 

 

 

▶︎地元福岡で引退を決意

帆足が引退会見 松坂ら引き留めも「福岡で終わろうと思った」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

 

 

▶︎パパはこわい??

ソフトB帆足 引退会見で娘に質問コーナー パパは?「こわいです」 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

 

 

▶︎引退後は松坂の専属広報?

引退のソフトB帆足 将来は松坂の専属広報?

 

 

【その他の情報】

 

 

・漫画「ONE PIECE」の大ファンで、西武時代は高山久らとONE PIECE会を結成するほどで会長も務めていた。

 

 

・長髪がトレードマークだったが、2011年から選手会長就任したのを機にショートヘアにした。

 

 

・ウイニングショットのパームボールは、指が短くフォークボールを習得できなかった帆足が三井高校時代に必死にマスターし、生命線としていた。帆足のパームは軌道がスライダーに似ているため、スライドパームとも呼ばれる。