巨人の主将!天性の内角打ち 大型イケメンショート《坂本勇人》
【坂本勇人】
読売ジャイアンツ #6 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県伊丹市 |
生年月日 | 1988年12月14日(26歳) |
身長 体重 |
186 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 遊撃手、一塁手、二塁手[1] |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2007年7月12日 |
年俸 | 2億2,000万円(2015年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2013年 |
【経歴】
①プロ入り前
兵庫県伊丹市立昆陽里小学校1年から、少年野球「昆陽里タイガース」において投手兼遊撃手として野球を始めた。
田中将大は小・中学校の同級生で、小学時代は同チームに在籍。当時は坂本が投手、田中が捕手でバッテリーを組んでいた。
中学時代は伊丹シニアに所属し、2年次にジャイアンツカップベスト4。
青森県八戸市の光星学院高等学校に進学し、1年秋から遊撃のレギュラーを獲得。
2年春から4番を務め、秋の東北大会準優勝し、3年春の第78回選抜高等学校野球大会に出場。
春の東北大会では16打数13安打で打率.813、4本塁打の活躍で注目を集めた。高校通算39本塁打。
坂本勇人 巨人スカウトの目が一瞬でとまった甲子園でのヒット - YouTube
②プロ入り後
2006年9月25日に行われた高校生ドラフトにて、巨人が堂上直倫の外れ1位で坂本を指名。
11月5日に契約金8000万・年俸650万で契約。入団2年目まで着けた背番号の「61」は200「6」年の高校生ドラフト「1」位に由来している。
▶︎2007年
開幕を二軍で迎える。
5月12日のイースタン・リーグの日本ハム戦に闘病中だった母親を呼び、第1打席の初球でホームランを打ち喜ばせた。
試合後には「おかんの体調が悪いっていうのは聞いていたので、最後の試合になるだろうと思っていた」とコメントを残している。母親は約1ヶ月後に死去した。
この年は二軍で77試合に出場して302打数81安打5本塁打28打点、打率.268の成績を残した。
7月に一軍初昇格、初出場(代走)。9月6日には延長戦となった中日戦に代打で出場し、決勝点となるプロ入り初安打初打点を記録した。
▶︎2008年
巨人では松井秀喜以来の10代での開幕スタメン入り(8番・二塁手)を果たす。
開幕戦で二岡智宏が負傷した影響もありその後は遊撃手としてスタメン出場を続けた。
夏場には打率が2割2分台にまでさがり、代打を出されることもあったが、二岡の復帰後も遊撃手の位置を譲ることはなかった。
最終的に全試合スタメン出場を果たし、成績も終盤に盛り返して打率.257、8本塁打、43打点の成績を残した。
高卒2年目での全試合スタメンは中西太、清原和博に続いて史上3人目(セ・リーグでは初。)
オールスターゲームにも初出場し、第2戦で初安打を記録。
埼玉西武ライオンズとの日本シリーズ第7戦では西口文也から本塁打を放つ。10代での日本シリーズ本塁打は当時西武だった清原以来22年ぶり。
坂本自身は日本シリーズでは打率1割台と不振でチームも日本一は逃した。
しかし、坂本にとっては日本シリーズでも本塁打を放つなど、存在感を示し、大きく成長した1年となった。
また、この年のオープン戦・公式戦・オールスター戦・クライマックスシリーズ・日本シリーズの172試合全てに出場した。
新人王は同僚である山口鉄也に譲ったが、巨人では高橋由伸以来10年ぶりにセ・リーグ会長特別表彰(新人選手特別賞)を受賞した。
▶︎2009年
4月は下位打線での出場だったが、4割近い打率をキープする好調ぶりを受け、5月以降は1番打者として定着。
しかし7月に腰痛を発症、強行出場し続けるも打率は低迷の一途を辿り、球宴前の横浜戦3連戦を欠場した。
これでも前年の開幕戦から続いていた連続試合出場試合記録は226試合で途切れた。
最終的に目標だった20本塁打には到達しなかったものの、4月以降一度も3割を切ることもなく初の打率3割(.306、リーグ4位)を達成。高卒3年目以内の3割到達は史上11人目の快挙。
また青木宣親、トニー・ブランコに並び最多得点を記録し、自身初のベストナインに選出された。
▶︎2010年
主に1番打者として全試合にフルイニング出場を達成。
前年より打率こそ下がったものの、王貞治と亀井義行に続く球団史上3人目のサヨナラ本塁打3本を放った。
自身そして巨人の遊撃手で最多となる31本塁打(高卒4年目以内の30本塁打は史上8人目)を放った。
シーズン後半は不振に陥り、10月には6番降格を経験したものの、勝負強い打撃が認められ、1億円プレーヤーとなった。
▶︎2011年
4月12日のヤクルトとの開幕戦で、石川雅規から2本のタイムリー二塁打を放ち、勝利に貢献。お立ち台にも上がった。
2年連続で全試合出場を果たし、得点圏打率ではリーグトップの.361をマークした。
しかし、打撃不振や守備の乱れなどによりスタメン落ちした試合もあった。
オフの契約更改では、1,000万円減の1億1,000万円でサインし、プロ入り初めて年俸が下がった。
▶︎2012年
開幕当初は1番を打ったが、4月26日のDeNA戦からは3番を任される。
この年は3年連続4度目の全試合出場を記録、2度目のベストナインに選出された。
長嶋茂雄に並ぶシーズン20度目の猛打賞(球団記録)、リーグ1位の長打(二塁打35、三塁打2、本塁打14)をマーク。
初の打撃タイトルとなる最多安打を獲得。(長野と同時受賞)
また、自己最高打率(.311、リーグ2位)、盗塁数(16個)、出塁率(.359)を記録した。
また盗塁成功率は10盗塁以上の選手で両リーグ最高の.941だった。
得点圏打率は.286に終わったものの、シーズン終盤の大事な試合で逆転3ラン本塁打や同点満塁本塁打を放つなど、ここ一番での勝負強さが光った。
日本シリーズは25打数9安打、打率.360、3打点の成績でチームの3年ぶりの日本一に貢献。
アジアシリーズでも3試合で13打数4安打、打率.308、4打点の成績を納め、アジアシリーズMVPを獲得した。
オフの11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表VSキューバ代表」」の日本代表が発表され、代表入りした。
▶︎2013年
2月20日に、第3回WBC日本代表メンバー28人が発表され代表入りした。
結果は25打数6安打(.240)と低調だったが、終盤戦は復活し、随所で勝負強さを見せる。守備範囲の広さは顕在で守りでも貢献した。
シーズンでは4月19日の広島戦で球団新記録となる4年連続の満塁本塁打を放った。
9月6日の阪神戦では故障の影響もあり初めて一塁手の守備に就いた。
シーズン規定打席(446打席)到達時点で打率.303を記録していたが、前述の故障やWBCの調整の影響もあり、そこから急激に降下線を描き最終的には.265に留まった。
優勝決定後はスタメン落ちも経験しポストシーズンでも不振に終わった。
坂本勇人 第2号満塁HR 2013 04 19 C G - YouTube
▶︎2014年
3月28日の阪神との開幕戦で能見篤史から通算100号本塁打を達成。
4月29日のヤクルト戦では首痛のため、この年初めて先発から外れ、6回に代走で出場するものの、野球規則の規定により連続試合出場は662でストップした。
5月20日、西武戦で牧田和久から安打を放ち、NPB史上277人目の通算1000安打を達成。25歳5ヶ月での達成はNPB史上3番目でセ・リーグでは史上最年少記録となった。
10月3日のDeNA戦では通算100盗塁を達成。
シーズン途中まで1番打者を務めたが、中盤から3番に座ると持ち前の勝負強さを発揮し、得点圏打率.328、OPS.964とリーグトップの勝利打点を記録した。
クライマックスシリーズでは第4戦に本塁打は放つも4試合で2安打に終わった。チームは4連敗でCS敗退となった。
オフの10月9日に、日米野球2014の日本代表に選出された事が発表された。
主に6番遊撃手として出場し、第3戦では決勝の二点本塁打を放つなど打率.357、1本塁打、2打点と日本代表の同シリーズ勝ち越しに大きく貢献した。
また12月には優勝旅行先のハワイで阿部慎之助に代わる主将に任命された。26歳での主将就任は巨人では戦後最年少。
▶︎2015年
2月16日、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出。第1戦、第2戦とも出場し、3打数2安打3四球を記録した。
シーズンでは4月11日のヤクルト戦で、初めて4番打者(球団史上82代目)としてスタメン出場した。
4月29日、左ふくらはぎの張りで出場選手登録を抹消。5月13日に一軍に復帰した。
8月15日には出場選手登録日数が8年に達したことで国内FA権と取得。
シーズン全体ではチームトップの68打点に17度の勝利打点を記録した。
しかし、出場試合、安打数、二塁打、得点などは欠場の影響もありレギュラー定着後では自己最小、打率は前年を1分下回った。
守備面ではリーグの遊撃手で1位の守備率.982を記録した。
第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター選手28名に選出。
11月8日、韓国との開幕戦では大会第1号となるソロ本塁打を左翼席に放ち、日本の勝利に貢献した。
【プレミア12】坂本勇人 第1号ホームラン - YouTube
▶︎個人年度別成績はこちら(2015年度シーズン終了現在)※太字はリーグ最多
年 度 | 所属球団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 刺 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 長 打 率 | 出 塁 率 |
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2007 | 読 売 | 4 | 3 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .333 | .333 | .333 |
2008 | 読 売 | 144 | 567 | 521 | 59 | 134 | 24 | 1 | 8 | 184 | 43 | 10 | 5 | 15 | 1 | 28 | 2 | 98 | 2 | .257 | .353 | .297 |
2009 | 読 売 | 141 | 640 | 581 | 87 | 178 | 33 | 3 | 18 | 271 | 62 | 5 | 3 | 7 | 4 | 44 | 4 | 101 | 8 | .306 | .466 | .357 |
2010 | 読 売 | 144 | 676 | 609 | 107 | 171 | 35 | 4 | 31 | 307 | 85 | 14 | 4 | 10 | 7 | 47 | 3 | 83 | 6 | .281 | .504 | .332 |
2011 | 読 売 | 144 | 624 | 568 | 69 | 149 | 27 | 2 | 16 | 228 | 59 | 8 | 1 | 10 | 3 | 37 | 6 | 91 | 3 | .262 | .401 | .313 |
2012 | 読 売 | 144 | 619 | 557 | 87 | 173 | 35 | 2 | 14 | 254 | 69 | 16 | 1 | 12 | 5 | 39 | 6 | 90 | 5 | .311 | .456 | .359 |
2013 | 読 売 | 144 | 620 | 554 | 73 | 147 | 33 | 1 | 12 | 218 | 54 | 24 | 4 | 4 | 3 | 55 | 4 | 87 | 11 | .265 | .394 | .334 |
2014 | 読 売 | 144 | 616 | 545 | 82 | 152 | 29 | 0 | 16 | 229 | 61 | 23 | 5 | 9 | 5 | 55 | 2 | 88 | 3 | .279 | .420 | .344 |
2015 | 読 売 | 130 | 558 | 479 | 50 | 129 | 21 | 3 | 12 | 192 | 68 | 10 | 4 | 9 | 5 | 65 | 0 | 79 | 5 | .269 | .401 | .353 |
通 算 | 1139 | 4923 | 4417 | 615 | 1234 | 237 | 16 | 127 | 1884 | 503 | 111 | 27 | 76 | 33 | 370 | 27 | 717 | 43 | .279 | .427 | .336 |
【タイトル】
・最多安打:1回(2012年)
【表彰】
・セ・リーグ会長特別表彰(新人選手と区別賞)(2008年)
・ベストナイン:2回(2009年、2012年)
・「ジョージア魂」賞年間大賞:1回(2012年)
・「ジョージア魂」賞:1回(2012年度第8回)
・東京ドームMVP:1回(2009年)
・東京ドームMVP特別賞:1回(2008年)
・オールスターゲーム敢闘選手賞:3回(2011年第2戦、2012年第2戦、2013年第2戦)
・報知プロスポーツ大賞(2009年)
・スポーツニッポン新聞社選定スーパープレー大賞(2009年)
・アジアシリーズMVP(2012年)
・ベストハンバーグ侍2015(2015年)
・月間アットホームヒーロー賞(2015年8月度)
・月間サヨナラ賞(2015年8月度)
【坂本勇人 天性の内角打ち!】
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▶︎社会奉仕活動
2009年から自らデザインしたチャリティーTシャツの販売や、献血のポスターのモデルを務め、同年11月にはTシャツ販売の収益金187万5800円を日本赤十字社に寄付した。
またこれを原資に東京ドームに「坂本勇人赤十字シート」も設置し、児童養護施設の子供を招待している。
坂本は「これからも社会貢献をやっていけたらいいですね」と話している。小平市の児童養護施設にはランドセルをプレゼントしている。
▶︎写真集
『JUNON』で若手野球選手の特集で初めて掲載された後、主婦と生活社のJUNON編集部からパーソナルフォトブック(写真集)『だから僕は笑顔になれる』が、2013年2月22日に販売された。
なお、JUNON編集部がスポーツ選手で写真集を販売したのは初。