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200勝目前で引退! 西武の大エース レジェンド《西口文也》

西口文也

 

Nishiguchi fumiya 13.jpg
2012年7月6日 西武ドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県和歌山市
生年月日 1972年9月26日(43歳)
身長
体重
182 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 ドラフト3位
初出場 1995年8月16日
最終出場 2015年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

 

 

【経歴】

 

 

①プロ入り前

 

1972年に和歌山県で生まれる。

小学生から中学生までは遊撃手・外野手としてプレーしていた。

和歌山県立和歌山商業高等学校から投手を兼任。

 

立正大学入学後は投手に専念して活躍。

1992年春季の東都2部リーグで最優秀投手賞を受賞。

以降準エース格の働きを見せた。

 

 

②プロ入り後

 

1994年西武ライオンズより3巡目に指名され入団。背番号は13

 

 

 

 

▶︎1年目(1995年)

アメリカの独立リーグ野球留学し、後の決め球となるチェンジアップを習得。

後半戦で初完投・初完封勝利を記録。

 

▶︎2年目(1996年)

リーグ2位の16勝・173奪三振と最多完投を記録。

オールスターにも監督推薦で初選出された。

 

▶︎3年目(1997年)

初の開幕投手を務める。

9月は連投から中4日で登板するなど大車輪の活躍を見せ、最多勝最多奪三振・最高勝率・ベストナインゴールデングラブ賞沢村賞・MVPを受賞した。

しかし、日本シリーズでは好投するも2敗を喫した。

 

▶︎4年目(1998年)

開幕戦を務めるが不調に陥り、前半は中継ぎ・抑えも経験する。

しかし、後半戦から復調し、最終的に2年連続の最多勝最多奪三振ベストナインゴールデングラブ賞を獲得。

 

▶︎5年目(1999年)

3年連続で開幕投手を務める。

チーム最多賞は新人の松坂大輔に奪われるものの、2年連続で最多完封勝利を記録した。

 

▶︎6年目(2000年)

右足内転筋を痛めて離脱、これが後に持病となる。

 

▶︎7年目(2001年)

91与四死球と制球難に苦しみ、防御率が初の4点台に悪化してしまう。

 

▶︎8年目(2002年)

松坂離脱を支え、リーグ2位となる15勝を挙げてリーグ優勝に貢献。

3度目のゴールデングラブ賞を受賞した。

 

▶︎9年目(2003年)

右足のケガの悪化に不調も重なり、規定投球回数に届かない6勝・防御率6.84と不本意な成績に終わった。

連続2ケタ勝利・連続防御率10傑入りが共に7年で途切れた。

 

▶︎10年目(2004年)

禁煙・食事制限など節制に努めて復活を期し、3度右脚内転筋を痛めて離脱するもの10勝を挙げる。

この年FA権を取得するが「これから西武で何勝できるかやってみたい」と発言し残留を決めた。

 

▶︎11 年目(2005年)

開幕から絶好調でセ・パ交流戦では6勝を挙げて交流戦の初代最多勝投手に輝く。

レギュラーシーズンでも抜群の安定感で、杉内俊哉最多勝を争う。

直接対決で敗れたため1勝及ばずタイトルを逃すが、自己最多の17勝を挙げた。

毎年多めな本塁打も13本に抑えたほか、防御率も初の2点台を記録した。

 

▶︎12年目(2006年)

 自身4度目となる開幕投手を務めるものの、序盤は調子が上がらず負けが先行。

中盤以降に復調して9勝を挙げるが2ケタ勝利には届かなかった。

 

▶︎13年目(2007年)

松坂がレッドソックスへ移籍し、層が薄くなった投手陣の中でリーダーとして期待される。

5度目の開幕投手を務めて1999年以来の白星を記録。

3・4月の月間MVPを初めて獲得した。

8月17日オリックス・バファローズ戦で史上46人目の通算150勝を達成。

しかし、6月以降の失速が響いて勝ち星は前年と同じ9勝(11敗)となり、プロ入り以来初めて負け越したシーズンとなった。

 

▶︎14年目(2008年)

シーズン前半は打ち込まれる姿が目立ち、7月までは防御率6.35と苦しんだ。

しかし、後半は持ち直し7月27日に好投して以降は4勝1敗・防御率2.74と活躍。

終盤のケガもあって前年より勝ち星は減ったものの、レギュラーシーズンを勝ち越して終えた。

 

▶︎15年目(2009年)

前年同様前半戦はローテンションに入った。

打ち込まれる試合が続いたほか、チーム事情もあって中継ぎに回される。

しかし中継ぎでも打たれる場面が多く、防御率は2年連続5点台、勝ち星も4勝に終わった。

 

▶︎16年目(2010年)

昨年の不調を払拭するためにウエイトトレーニングに取り組んだ結果、球速が145km/hまで回復。

終盤に好投も見せたが、3年連続の防御率5点台・3勝に終わった。

 

▶︎17年目(2011年)

開幕当初6人目の先発要員となり、試合数の少ない週はしばしば登板機会を飛ばされた。

前半は不安定な投球で負け越していたが8月以降は7勝1敗防御率2.00と不調の先発陣を牽引。

8月28日、2006年以来となる完投勝利を2005年以来の完封で飾った。

10月12日、2005年以来、実に6年ぶりの2ケタ勝利を挙げた。

最終的に規定投球回数には僅かに届かなかったもののチームトップの11勝を挙げ、防御率も2.57と数年の不調から復活いしたシーズンとなった。

クライマックスシリーズ1stステージ第2戦ではポストシーズン通算10試合目にして念願の初勝利を挙げた。

 

 

www.youtube.com

11/08/28 西口文也 6年ぶりの完封勝利 ハイライト - YouTube

 

 

▶︎18年目(2012年)

援護には恵まれるものの短いイニングでマウンドを降りるがケースが目立ち、前半戦において不安定だったリリーフ陣に勝ちを消されることが多かった。

シーズン中盤には右肩痛に悩まされるようになり、投球内容が悪化して二軍落ちする。

シーズン最後まで再調整を行うものの一軍昇格は見送られた。

 

▶︎19年目(2013年)

8月8日、日本ハムファイターズ戦で先発し、高橋直樹が持っていた最年長先発投手の球団記録を更新した。

この年は1勝も挙げることができず、プロ入り初の未勝利でシーズンを終えた。

 

▶︎20年目(2014年)

中継ぎで8試合投げただけで終わった。

2年連続で未勝利に終わり、プロ入り初の先発登板なしのシーズンとなった。

 

▶︎21年目(2015年)

開幕二軍スタートとなった。

5月28日の巨人戦で1軍初登板を果たし2年ぶりに先発したが4回4失点でKOされ、結局この1試合で二軍落ちとなった。

9月19日に現役引退を表明した。フランチャイズ・プレイヤー歴21年は伊東勤と並ぶ球団タイ記録

 

www.youtube.com

【プロ野球パ】西口文也が現役最後のマウンドへ! 球場は「13」で埋まる 2015/09/28 L-M - YouTube

 

 

▶︎個人年度別成績はこちら(2015年度シーズン終了現在)※太字はリーグトップ


 
所属球団
 

 

 





 





 

 


 
 



 

 

 

 



 




1995 西  武 9 2 0 0   1 1 0 1.000 183 45 .1 43 2 10 0 34 0 0 15 10 1.99
1996 西  武 31 16 10 1   13 2 2 .615 849 210 .1 172 21 74 2 173 4 0 77 74 3.17
1997 西  武 32 15 5 1   10 0 2 .750 871 207 .2 187 20 68 5 192 1 0 85 72 3.12
1998 西  武 33 13 12 4   8 5 1 .520 757 181   160 16 73 4 148 1 1 80 68 3.38
1999 西  武 29 14 10 0   7 3 0 .583 732 179 .1 141 20 55 3 141 3 0 72 68 3.41
2000 西  武 24 11 5 0   4 2 1 .688 618 145 .2 136 22 59 3 131 2 0 62 61 3.77
2001 西  武 28 14 9 0   1 0 0 .609 730 165 .1 156 18 85 6 143 6 0 85 80 4.35
2002 西  武 29 15 10 0   3 2 0 .600 753 182   166 25 51 5 180 3 1 76 71 3.51
2003 西  武 14 6 3 0   0 0 0 .667 349 76 .1 85 19 31 3 69 1 0 60 58 6.84
2004 西  武 21 10 5 0   0 0 0 .667 506 117 .1 97 19 56 4 112 4 0 50 42 3.22
2005 西  武 25 17 5 0 0 3 1 0 .773 701 172   157 13 34 9 137 5 0 55 53 2.77
2006 西  武 26 9 9 0 0 2 0 0 .500 767 177 .1 175 22 65 9 154 0 0 76 70 3.55
2007 西  武 25 9 11 0 0 0 0 0 .450 648 153 .2 149 18 44 6 103 2 0 78 73 4.28
2008 埼玉西武 22 8 6 0 0 0 0 0 .571 517 116 .1 125 18 48 4 92 5 0 69 65 5.03
2009 埼玉西武 25 4 4 0 3 0 0 0 .500 423 93 .1 110 14 38 4 60 3 0 55 53 5.11
2010 埼玉西武 13 3 2 0 0 0 0 0 .600 261 57 .1 65 8 27 2 43 0 0 36 35 5.49
2011 埼玉西武 22 11 7 0 0 2 1 0 .611 566 140   104 5 41 8 104 2 1 44 40 2.57
2012 埼玉西武 14 5 2 0 0 0 0 0 .714 347 81 .2 77 4 29 1 44 2 0 35 34 3.75
2013 埼玉西武 4 0 2 0 0 0 0 0 .000 58 10 .2 18 2 9 0 7 0 0 10 10 8.44
2014 埼玉西武 8 0 0 0 0 0 0 0 .000 51 11   10 3 8 3 11 1 0 10 6 4.91
2015 埼玉西武 2 0 1 0 0 0 0 0 .000 19 4   6 1 1 0 4 1 0 4 4 9.00
  通 算 436 182 118 6 3 54 17 6 .607 10706 2527 .2 2339 290 906 81 2082 46 3 1134 1047 3.73

 

 

【タイトル】

最多勝:2回(1997年、1998年)

最多奪三振:2回(1997年、1998年)

・最高勝率:1回(1997年)

 

 

【表彰】

・MVP:1回(1997年)

ベストナイン:2回(1997年、1998年)

ゴールデングラブ賞:3回(1997年、1998年、2002年)

沢村賞:1回(1997年)

・最優秀バッテリー賞:3回(1996年〜1998年、いずれも捕手は伊東勤

※3回は投手記録。同一バッテリーは史上最多・史上最長の3年連続受賞

・月間MVP:5回(1996年5月、1998年8月、2002年8月、2005年7月、2007年4月)

 

 

ノーヒットノーラン未遂と幻の完全試合

 

完全試合またはノーヒットノーラン達成まであと一歩」のところで安打を打たれて完封・完投どまりになった事が3度ある。

 

2002年8月26日、千葉ロッテマリーンズ

四球による出塁1つに抑えて9回2死までノーヒットノーランだったが、小坂誠に中前打されて逃した。

次の打者にも右前打されたが後続を抑えて2安打1四球、6-0の完封勝ち。

 

2005年5月13日、読売ジャイアンツ

死球による出塁に抑えて9回2死までノーヒットノーランだったが、清水隆行本塁打を打たれ快挙を逃した。

1安打1死球、6-1の完投勝ち。

 

2005年8月27日、東北楽天ゴールデンイーグルス

9回終了まで完全に抑えていたものの、この試合で投げ合った一場靖弘の力投の前に打線が沈黙し、延長戦に突入した。

延長10回表、沖原佳典に安打を打たれて快挙を逃した。

このような形で延長戦で完全試合を逃したのは史上初、ノーヒットノーランでは9人目。

その後は後続を抑えて勝利したため、結果は10回1安打1四球、1-0の完封勝ちとなった。

仮にパーフェクトのまま試合が終わっていれば、延長戦ノーヒットノーランなら史上2人目、延長戦完全試合なら史上初の達成となるところだった。

この試合は完全試合参考記録とされている。

 

 

www.youtube.com

プロ野球球界一不運な投手西口文也 幻の完全試合 の裏側 - YouTube

 

 

【その他の情報】

 

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