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来季から巨人の守備走塁コーチ!右打ちを得意とする守備のスペシャリスト《井端弘和》

井端弘和

 

読売ジャイアンツ #2
Giants Ibata 2.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県川崎市川崎区
生年月日 1975年5月12日(40歳)
身長
体重
173 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1997年 ドラフト5位
初出場 1998年9月8日
年俸 5,500万円(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
 
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年

 

 

【経歴】

 

①プロ入り前

 

川崎市立川中嶋中学時代までは投手。

堀越高等学校時代、2年時に第64回選抜高等学校野球大会、3年時に第75回全国高等学校野球選手権大会に出場。

その後亜細亜大学に進学。東都大学リーグ1部リーグ通算81試合出場、269打数78安打、打率.290、4本塁打、33打点。3季連続ベストナインに選ばれた。

 

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1997年大学選手権決勝 近畿大vs亜細亜大 1/11 - YouTube

 

 

②中日時代

 

1997年のドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。

 

 

1年目の1998年は一軍で18試合に出場したが、2年目の1999年は一軍出場なし。

しかし、2000年から試合終盤の守備固め・代走、またはレギュラーとして出場機会を増やしていく。

翌2001年から遊撃手のレギュラーに定着して全試合出場を果たして以来、不動の遊撃手として活躍。 

 

2002年には初のベストナインを受賞、オフには背番号6へと変更。

2004年には選手会長に就任し、チームの柱としてリーグ優勝に貢献。自身2度目となるベストナイン、更に自身初の打率3割と、ゴールデングラブ賞を受賞する活躍を見せた。

2005年には規定打席到達者中12球団トップの得点圏打率を残すなど、勝負強さを見せた。

2007年には4年連続5度目のベストナインに輝いた。

 

2008年8月3日にFA権を取得するも、その日の中日スポーツ朝刊で残留を宣言。

同年12月16日に球団史上最長を5年契約を結ぶ。

オフの12月22日、テレビ朝日アナウンサー河野明子と結婚した。

 

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2008 井端 弘和 スーパープレー 伝説の6-6-3 中日 ドラゴンズ - YouTube

 

▶︎2009年

肩の故障もあり二塁手にコンバートされる予定もあったが、井端本人の調整が目の不調により遅れたことに加え、代わって遊撃手を務める予定であった荒木雅博が開幕直前に足を痛めたことで見送られた。

調整は遅れていたもののシーズンでは主に1番として全試合に出場し、4年ぶりに打率3割を達成。

12月3日には社団法人日本プロ野球選手会の理事長に就任した。(2013年12月に退任)

 

▶︎2010年

予定通り二塁手にコンバート。またチーム方針により6番の打順を任されることが多かった。

6月5日のロッテ戦で、1500安打を達成した。

しかし、眼病によりボールがぼやけて見える不調が生じ離脱が続き、この年は144試合中53試合しか出場できなかった。

長期離脱により2000年以来の規定打席未到達、前年まで6年連続で受賞していたゴールデングラブ賞も逃し、二塁手のレギュラーポジション も堂上直倫に明け渡した。

11月26日には減額制限一杯となる40%ダウン(3億円→1億8千万円・推定)で契約更改を行うなど、不本意なシーズンとなった。

治療を続けていた目に回復の兆しが見られず痛みが続いていたため、このシーズンには引退も考えていた

 

▶︎2011年

7月、第一子となる長男が誕生する。打撃面ではプロ入り後で最低の成績に終わった。

9月1日にはNPBから反ドーピング規則違反の処分を受けるが、これは目の治療のために使用していた薬物の許可期限切れに伴う継続申請を怠っていた中日球団の過失によるところが大きいと認定され、最も軽いけん責処分となっている。

 

▶︎2012年

開幕戦から6番打者として起用されていたが、シーズン中盤からは5番を務めた。

守備面では再び遊撃手に戻り、荒木も元の二塁手に再コンバートされた。

最終的に打率.284を残し、3年ぶりにゴールデングラブ賞を受賞した。

 

▶︎2013年

2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人が発表され代表入りした。

ブラジル戦で同点打、チャイニーズタイペイ戦で9回2死から同点打を放ち、打率.556と決勝ラウンドに進出した全選手の中で最も高い打率を記録した。

指名打者としても出場し、東京ラウンドのMVPを獲得、大会ベストナイン指名打者部門にも選出された。

特に2次ラウンドの台湾戦の同点適時打については「一生忘れない」と語った。

シーズン公式戦では、不振が続き、100試合出場で打率.236、1本塁打に終わった。

シーズン後は年俸減額限度額を超える大幅減俸の提示を受け、秋季キャンプ初日には1人だけ不参加など態度を硬化させた。

11月4日に球団から来季の契約が結ばれない事が発表された

 

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WBC 2013 台湾戦 9回 井端同点打 ノーカット - YouTube

 

 

③巨人時代

 

2013年11月26日、読売ジャイアンツとの契約の合意が発表され、12月3日に入団会見を行った。背番号は2

 

 

▶︎2014年

脚に不安を抱える片岡治大に次ぐ二塁手など、主に内野の守備要員として試合に出場している。

また、片岡が連戦の疲れを考慮して休養する際は二塁手でスタメン出場し、正遊撃手の坂本勇人が故障等で先発出場できない際には遊撃手として先発した。

7月6日に濱田からホームランを打ち、古巣の中日ドラゴンズから移籍第一号を放った。

シーズン終盤やCSでは打撃不振の片岡に代わり先発出場が多くなり、出場試合は100試合を割り込んだものの、5年ぶりにシーズン3本塁打を記録した。

CSでは第2戦に岩田稔から2ランホームランを放つが、チームの勝利には結びつかなかった。

 

▶︎2015年

キャンプ・オープン戦で猛アピールし、2番セカンドで開幕スタメンを勝ち取る。

その後も複数のポジションや打順をこなし、投手と捕手を除く全てのポジションでスタメン出場した。

成績こそ良い数字ではないが、スーパーサブとしてチームを支えた。

10月24日、読売巨人軍球団事務所で記者会見を行い、同級生の高橋由伸の監督就任に伴って今季限りで現役を引退することを表明。

彼より長くやることはないと思っていた。電話をもらい、すぐに辞めようと思った」と由伸から引退の電話報告を聞いて決断。

日本プロ野球名球会の入会基準である通算2000安打まで88本(通算安打数1912本)であった。

10月27日、2016年から巨人一軍内野守備走塁コーチに就任することが発表された。

 

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井端 2ランホームラン CSファイナル第2戦 巨人vs阪神 - YouTube

 

 

▶︎個人年度成績はこちら(2015年度シーズン終了時点)


 
所属球団
 

 

 

 

 







 

 

 



 

 

 

 

 



 




1998 中  日 18 60 49 2 12 1 0 0 13 2 4 0 4 0 6 1 8 0 .245 .265 .339
2000 中  日 92 270 242 35 74 7 0 3 90 16 6 8 8 2 16 2 22 1 .306 .372 .351
2001 中  日 140 625 531 53 139 25 3 1 173 32 14 12 37 2 49 6 60 10 .262 .326 .330
2002 中  日 135 596 531 67 154 25 1 4 193 25 6 9 6 0 53 6 77 11 .290 .363 .361
2003 中  日 105 447 386 44 103 14 0 5 132 27 5 3 30 1 28 2 50 9 .267 .342 .319
2004 中  日 138 642 562 81 170 30 2 6 222 57 21 10 18 3 54 5 74 16 .302 .395 .367
2005 中  日 146 659 560 87 181 22 5 6 231 63 22 8 19 2 72 6 77 11 .323 .413 .405
2006 中  日 146 666 573 97 162 19 2 8 209 48 17 12 27 1 61 4 72 13 .283 .365 .355
2007 中  日 144 665 588 87 174 34 4 5 231 45 23 6 8 1 63 5 74 13 .296 .393 .368
2008 中  日 106 466 408 51 113 16 3 5 150 23 8 3 16 2 37 3 56 7 .277 .368 .340
2009 中  日 144 657 569 80 174 24 2 5 217 39 13 7 8 2 72 6 66 13 .306 .381 .388
2010 中  日 53 212 180 18 47 6 0 0 53 16 0 0 6 2 21 3 28 13 .261 .294 .345
2011 中  日 104 434 376 28 88 9 1 1 102 29 3 3 31 2 25 0 53 10 .234 .271 .280
2012 中  日 140 553 489 35 139 17 0 2 162 35 4 4 8 1 52 3 58 14 .284 .331 .356
2013 中  日 100 376 326 30 77 9 0 1 89 18 0 2 8 0 38 4 51 13 .236 .273 .323
2014 読  売 87 187 164 16 42 3 0 3 54 16 0 0 4 1 18 0 24 11 .256 .329 .328
2015 読  売 98 321 269 20 63 9 0 1 75 19 3 3 10 2 37 3 36 4 .234 .279 .331
  通 算 1896 7836 6803 831 1912 270 23 56 2396 510 149 90 248 24 702 59 886 169 .281 .352 .352

 

 

【表彰】

ベストナイン:5回(2002年、2004年~2007年)

ゴールデングラブ賞:7回(2004年、2009年~2012年)

オールスターゲーム優秀選手賞:1回(2007年第2戦)

・オールスター・ベストバッター賞:1回(2009年第2戦、イチロー内川聖一に次ぐ5打席連続安打)

アジアシリーズMVP:1回

 

 

【井端の神業集】

 

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アライバファインプレー集2004〜2007 - YouTube

 

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井端弘和 脅威の技術! - YouTube

 

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井端 右打ち - YouTube

 

 

【その他の情報】

 

・趣味はボートレース。年末年始には、愛知県にあるBOAT RACE蒲郡でトークショーに出演するのがここ数年の恒例行事となっている。

 

SKE48木下有希子高柳明音井端ファンだと公言している。2013年4月16日の中日スポーツで対談が実現している。

 

・2004年から毎年、出身校である川崎市川中島小学校で開幕される「井端祭り」に参加し、子ども達との交流を図っている。2006年から川崎市の野球少年のために「井端弘和杯」を主催している。