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苦節10年!ダイナミックなフォームが持ち味の生え抜きスラッガー 中日《福田永将》

          【福田永将

中日ドラゴンズ #55
CD-Nobumasa-Fukuda.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市青葉区
生年月日 1988年7月23日(27歳)
身長
体重
181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手三塁手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト3巡目
初出場 2009年7月7日
年俸 1,500万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

 

【経歴】

 

①プロ入り前

 

小1で野球を始める(このとき全国3位、鴨志田スワローズ)。

中学時代は縁中央シニアで全国優勝を果たし注目され、シニア全日本代表の4番を務めた。

中学時代(鴨志田中学)にはニューヨーク・メッツから入団テストに来てほしいと声をかけられたこもあった。

横浜高校では打撃を買われ1年春からベンチ入り。2学年上の涌井秀章とバッテリーを組、石川雄洋らとともに甲子園にも出場。

レギュラーであったが、まだ1年で経験も浅かったたために、試合終盤の大事な場面では交代させられることが多かった。

2年春から4番打者を務めた。2006年春の第78回選抜高等学校野球大会では1年学年下の高濱卓也、同期の佐藤賢治とクリーンナップを組み、主将として優勝を経験。

同年夏は史上初の同校2度目の「春夏連覇」が期待されたが、大阪桐蔭に6-11と大敗し、大会初日に敗退。

上記以外に同期には下水流昴西嶋一記がいた。高校通算49本塁打

 

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2004年夏1回戦 横浜vs報徳学園 3/19 - YouTube

 

 

②プロ入り後

 

ドラフト会議で中日ドラコンズから高校生ドラフト3巡目で指名され入団。

 

  

▶︎2007年

新人の中でも打撃の評価が高く、春季キャンプでの一軍組への昇格1号となった。落合博満監督から2007年に行われるプレ五輪に推薦された。

谷繁元信小田幸平の次となる3番目の捕手を争うことが期待されていたが、同じ新人の捕手田中大輔の存在もあり、二軍で9試合のみの出場でノーヒットに終わった。

出場機会を増やすために首脳陣から内野手へのコンバートを指示が出され、同年オフの秋季キャンプから一塁の守備にも取り組んだ。

 

▶︎2008年

春季キャンプで山本昌と同部屋になる落合監督の指示もあり、本格的に捕手から内野手へ転向。

この年も一軍出場はなかった。前年に同じく一軍出場のなかった堂上直倫清水昭信岩崎達郎がこの年に一軍出場を果たしたため、この時点で2007年入団選手の中で唯一の一軍経験のない選手となった。

しかし、二軍では4番打者としてのスタメン出場もあり、フェニックスリーグでは石井一久から本塁打を放ち注目を浴びる。

 

▶︎2009年

春季キャンプで一軍に抜擢されるも初日に落合監督からノックを受け右太ももを痛め、2日目に二軍に降格。

ウエスタン・リーグ6月の月間MVPを獲得。7月に初の一軍昇格。

7月7日、対東京ヤクルトスワローズ戦に9回に代打で出場し、押本健彦から史上49人目となるプロ初打席初本塁打を放った。

7月31日の対ヤクルト戦では、負傷退場したトニー・ブランコの代役として4番・一塁手で途中から最後まで出場。

その後は代打で好機を生かせず8月中旬に再び二軍に降格した。

 

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中日ドラゴンズ 福田永将 プロ入り初打席でHR - YouTube

 

▶︎2010年

オープン戦や練習試合、二軍でも4番を任せられ、打率3割台を記録、しかし一軍では15試合の出場に終わった。

 

▶︎2011年

開幕前から好調を維持し、右の代打として開幕一軍入り

開幕戦から代打として出場し、4月13日の横浜ベイスターズ戦で代打としてプロ2本目のソロ本塁打江尻慎太郎から放った。

さらに、4月15日にも阪神タイガース戦でまたも代打としてプロ3本目のソロ本塁打藤川球児から放った。

しかし、その後は5打席無安打が続き二軍落ちした。一軍に戻ったのはシーズン終盤の10月で、一年間を通しての一軍定着とはならなかったものの、自身初となる日本シリーズ出場を果たした。

 

▶︎2012年

小山桂司のトレード移籍に伴い、4年ぶりに捕手に再転向

オープン戦で積極的に起用され、打撃で結果を残し三番手捕手として二年連続の開幕一軍入りを果たす。

5月5日の対横浜DeNAベイスターズ戦にて一軍で初めて捕手のポジションに就くが、同じ試合でその後にアマチュア時代を通じて自身初となるセカンドの守備に就く

またこの試合ではシーズン1号となるソロ本塁打を放つ。最終的に自己最多の49試合に出場したものの、期待された打撃面では打率.176、1本塁打と課題が残った。

守備機会もこれまで通りの一塁手としての出場が主だった。オフから内野手へと再コンバートする事になった。

 

▶︎2015年

春季キャンプでフォーム改造した結果、オープン戦で4本塁打、リーグトップの13打点と結果を残し、開幕一軍入りを果たした。

開幕戦で、スタメンで一塁を守っていた森野将彦が故障したため、3月31日の巨人戦からスタメン出場すると、4打数3安打2打点本塁打1本と大活躍。

その日の試合の勝利に貢献した。その後も4月は、一塁手での起用が多かった。

6月21日の試合終了後、応援団は個人応援歌が作成された事を発表した。6月23日より使用開始された。

中盤以降、代打で成績を落としたが、自己最高の79試合に出場し6本塁打を放つなど、自己ベストの成績を記録。

シーズン途中から試合前の練習などでレフトに就く場面も見られた。11月13日の契約更改では約850万円増の約1500万円でサインした。

 

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2015 04 16 中日 福田永将 第4号2ランホームラン! - YouTube

 

▶︎個人年度別成績はこちら ※4月5日現在


 
所属球団
 

 

 

 

 







 

 

 



 

 

 

 

 



 




2009 中 日 17 18 16 2 3 1 0 1 7 1 0 0 0 0 2 0 7 0 .188 .438 .278
2010 中 日 15 13 12 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 1 6 0 .167 .167 .231
2011 中 日 12 17 17 3 4 0 0 2 10 2 0 0 0 0 0 0 7 1 .235 .588 .235
2012 中 日 49 53 51 2 9 1 0 1 13 2 0 1 0 0 1 1 20 0 .176 .255 .208
2013 中 日 4 7 7 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .286 .286 .286
2014 中 日 10 12 12 1 3 1 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 4 1 .250 .333 .250
2015 中 日 79 185 169 12 41 6 2 6 69 23 0 0 0 2 14 0 62 7 .243 .408 .297
  通 算 186 305 284 21 64 9 2 10 107 28 0 1 0 2 17 2 108 9 .225 .377 .272

 

 

【その他の選手情報】

 

▶︎今季こそ完全にブレークなるか!!

落合監督も絶賛した長打力。中日・福田永将、来季は新外国人とレギュラー… | マイナビニュース

 

▶︎昨季飛躍の真相は!?

かつての世代最強打者。中日・福田永将「9年目の飛躍」の真相|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball

 

・2007年の自身初のキャンプ中に少女が落合監督の元へサインをもらいにやってきたが、その色紙にはすでに福田のサインが書かれていた。

落合は「将来クリーンナップを打つ可能性のある男のサインで、価値が出るから大切に持っていてほしい」と断り、福田への期待を示した。

 

 

【その他の中日選手情報】

 

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