突然の引退に松坂大輔もビックリ!!パームボールの使い手軟投派左腕《帆足和幸》
【帆足和幸】
2012年4月15日 福岡Yahoo!JAPANドーム
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県小郡市 |
生年月日 | 1979年7月15日(36歳) |
身長 体重 |
180 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト3位 |
初出場 | 2001年3月27日 |
年俸 | 5,500万円(2015年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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【経歴】
①プロ入り前
福岡県小郡市出身。地元の少年野球チーム「立石ファイターズ」で野球を始める。
小郡市立中学校を経て福岡県立三井高学校へ入学。2年生の時に筑後地区大会で高校初の優勝に導く。
卒業後は九州三菱自動車硬式野球部に進み、主力左腕投手として台頭した。(当時の背番号は47)
②西武時代
2000年、西武ライオンズより3位指名を受け、入団。入団当時の背番号は48。
▶︎1年目(2001年)
3月27日開幕第3試合目のオリックス・ブルーウェーブ戦で先発の西崎幸広が右足内転筋を痛め0回1/3で降板し、帆足が初出場となる緊急登板となった。
5回1死まで5連続三振など無失点に抑えたが、その後に4失点を喫し降板。代わった潮崎哲也が後続を抑え、4回1/3を投げて4失点ながらプロ初勝利を手にした。
しかしその後は勝ち星を挙げれず、最終的に1勝・防御率9.00でシーズンを終え、プロの洗礼を受けた1年だった。
一方イースタン・リーグでは16試合に登板し、防御率2.34(リーグ2位)、勝率.750(リーグ2位)、78奪三振(リーグ4位)、2完投とチームのリーグ優勝に貢献した。
▶︎2年目(2002年)
9月10日に一軍へ昇格し、敗戦処理3試合のみの登板でシーズンを終え、防御率6.00だった。
二軍では勝率第1位投手(勝率.875)として表彰された。防御率2.02(リーグ2位)、完封勝利2回(リーグ1位タイ)の成績を残し、イースタン・リーグ優勝に貢献。
▶︎3年目(2003年)
5月20日に一軍へ昇格し、先発・中継ぎに両方で起用された。
先発での3連続ノックアウトを経て迎えた6月25日の千葉ロッテマリーンズ戦で先発で6回1失点と好投し、3年目にしてプロ入り初の先発勝利を手にした。
8月17日からはシーズン終了まで中継ぎとなり、プロ初セーブなども記録した。
最終的に先発9試合で2勝4敗、防御率6.00、WHIP1.73。
中継ぎでは3点差以内の登板が多く、2勝3敗1セーブ3ホールド、防御率3.38、WHIP1.42だった。
▶︎4年目(2004年)
開幕を一軍で迎えて先発ローテーション4枚目として月間防御率4.18ながら先発で4連勝と4月は負け無しだった。
5月から8月末までは、結果を残せず、中継ぎへ戻されたり二軍落ちなども経験した。
しかし、8月末から巻き返し自己最長となる5連勝を達成するなど、プロ4年目で初の2桁勝利を挙げた。
▶︎5年目(2005年)
開幕3戦目の先発としてスタートし、1度も抹消されることなく先発ローテーションを守った。
監督推薦でオールスターゲームに初選出され、第2戦の3番手として初登板した。
プロ入り初の規定投球回に到達、2度の完封勝利を果たすなどキャリアハイの13勝を挙げライオンズの左のエースとなった。
▶︎6年目(2006年)
西武時代に工藤公康がつけていた背番号47を細川亨から譲り受けた。
開幕を一軍で迎え3戦目に先発し、勝敗はつかなったが8回1失点で好スタートを切った。
その後も安定して試合を作っていたが、5月に調子を落とし月間防御率9.75となり二軍へ降格した。
復帰後は主にリリーフとして登板していたが、7月に左肩の肉離れで戦線離脱しそのままシーズンを終えた。
▶︎7年目(2008年)
前年のケガの影響で開幕は二軍スタート。
7月1日に一軍復帰し、同日の楽天戦で6回2/3を1失点と好投し1年ぶりの勝利を挙げた。
しかしその後4試合で先発3連敗し、一旦敗戦処理となったものの、再び先発に戻った。
9月17日の楽天戦では9回を2安打1四球にまとめて約2年ぶり、自身3度目の完封勝利を挙げた。
先発登板12試合のうち8試合で自責点が3以上という内容で2勝7敗と大きく負け越し、5年連続で4点台を記録した。
▶︎8年目(2009年)
春季キャンプでチェンジアップを習得。
5月4日と5月11日で2試合連続完封勝利を挙げ、西武ライオンズの投手では松坂大輔以来、左腕投手では工藤公康以来となる16年ぶりの快挙だった。
オールスターゲームに再び監督推薦で選出。第1戦の4番手として登板し、逆転され敗戦投手となった。
9月13日の楽天戦で9回を3安打2四球に抑えて、リーグ最多とるシーズン3度目の完封勝利を挙げた。
最終的にリーグ4位の防御率2.63を残し、11勝を挙げ、チーム最多の174回2/3を投げ、QS率も69.2とチーム随一の働きでリーグ優勝に貢献した。
▶︎9年目(2010年)
開幕2戦目に先発しローテーションに入るも4月は援護に恵まれず0勝2敗。
5月9日に福岡Yahoo!JAPANドームで行われたソフトバンク戦で完封は逃したもの9回途中1失点で好投し、9年目にして故郷福岡県でのプロ入り初勝利を手にした。
8月28日から9月25日まで5試合連続完投を記録し、9月の月間成績は4試合連続完投勝利、防御率0.50で自身初の月間MVPも受賞した。
最終的に規定投球回を投げ、9勝6敗、防御率3.59でシーズンを終えた。
オフに工藤公康の西武復帰が決定したことで、一時は自身が付けている背番号47を返上する意向を見せたが、工藤が固辞して55を選択したため、翌年以降も引き続き背番号47を着用することになった。
▶︎10年目(2011年)
4月4日から5月22日までデーゲームで6連勝した。
7月11日から連続ノックアウトされ再調整で二軍へ行き、8月1日に再び戻り、規定投球回数を投げ2年ぶりの2桁勝利を達成した。
リーグ優勝のソフトバンクに対しては4試合先発して3勝0敗と苦しめた。
▶︎11年目(2012年)
選手会長に就任。
開幕2試合目から先発ローテーションに入り、5月16日にソフトバンク戦で勝利投手となり、ソフトバンク戦6連勝を果たす。
5月を3勝0敗で過ごしたが、それ以降は7月に先発で4試合連続敗戦となるなど、結果を残せず。
9月に入ってから得意のソフトバンク戦で自身1ヶ月ぶりの勝利を挙げるなど徐々に調子を取り戻した。
CS出場がかかった試合で2試合連続好投するなどチームのCS進出に貢献。
しかし、CSファイナルステージ第1戦のソフトバンク戦に先発するも、5回1/3を4失点で敗戦投手となった。
試合中盤の得点が帆足を援護 5月9日 ソフトバンク1-4西武 試合ハイライト - YouTube
③ソフトバンク時代
2011年シーズン終了後に、国内FA権を行使し12月13日に福岡ソフトバンクへの移籍を表明した。
12月23日に正式入団を発表し、背番号は11になった。
▶︎1年目(2012年)
春は紅白戦、オープン戦ともに制球に課題を残し調整遅れで開幕一軍から漏れた。
4月15日の千葉ロッテ戦で先発として移籍後初登板を果たしたが、5安打4四死球の大乱調で2回2/3を投げ4失点でノックアウトされ、その翌日に二軍降格となった。
左肩腱板の炎症により一軍登板はその1試合のみでシーズンを終えた。
オフの12月4日にオリックスからFAで加入した寺原隼人の入団に伴い、背番号が11から西武時代に着用していた47に変更になった。
▶︎2年目(2013年)
4月17日の楽天戦で先発し5回を無失点に抑え、2011年9月29日以来、566日ぶりの勝利となる移籍後初勝利を挙げた。
交流戦では5月17日から先発で4戦4連勝し、23回1/3を投げわずか自責3、防御率1.16とチームの交流戦優勝に貢献した。
昇格と降板を繰り返しながら18試合に先発し8勝7敗、防御率4.75だった。
▶︎3年目(2014年)
オープン戦で結果が出せず開幕は二軍で迎えた。
5月1日に一軍へ昇格し、同日の対オリックス戦で勝利すると、次の5月7日の日本ハム戦も連勝しスタートを切った。
6月6日の広島東洋カープ戦で3年ぶりの完投勝利を挙げるなど、交流戦では4試合を投げ、防御率2.30を残した。
7月9日のオリックス戦で勝利投手となり、自身負け無しの6連勝を達成した。
7月16日のロッテ戦で自己ワーストを更新する自責11を記録し、連勝も止まった。
8月19日に抹消されその後再昇格は無かったが、最終的には6勝1敗とチーム2位の貯金5を挙げリーグ優勝に貢献した。
しかし、ポストシーズンゲームはベンチ入りできなかった。
▶︎4年目(2015年)
6月28日の楽天戦で今季初登板し初勝利を飾ったが、最終的にわずか3試合の登板で1勝をあげるにとどまった。
いずれも先発登板で6回3失点以内と試合をつくったものの、来季の戦力構想から外れた。
そのこともあり、チームの日本シリーズ進出後に「千賀、東浜と若い選手も出てきているし、そろそろ潮時」と引退を決断した。
10月18日、「上の子2人に記者会見を味わせたい」と娘2人を同伴して臨んだ引退会見では、「FAで福岡に来た時から福岡で野球を終えようと思っていた」ことを明かした。
2013.04.17 E1-5H 帆足が移籍後初勝利!ソフトバンク4連勝! - YouTube
▶︎個人年度別成績はこちら(2015年シーズン終了現在)※太字はリーグ最多
年 度 | 所属球団 | 登 板 | 勝 利 | 敗 北 | セ │ ブ | ホ │ ル | 完 投 | 完 封 勝 | 無 四 球 | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 安 打 | 本 塁 打 | 四 球 | 死 球 | 三 振 | 暴 投 | ボ │ ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | |
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2001 | 西 武 | 8 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | .250 | 125 | 23 | 38 | 3 | 20 | 1 | 21 | 1 | 1 | 32 | 23 | 9.00 | ||
2002 | 西 武 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 37 | 9 | 12 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 6 | 6 | 6.00 | ||
2003 | 西 武 | 34 | 4 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | .364 | 431 | 95 | .2 | 105 | 11 | 45 | 7 | 73 | 3 | 1 | 50 | 49 | 4.61 | |
2004 | 西 武 | 24 | 10 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | .769 | 475 | 104 | .2 | 117 | 11 | 47 | 5 | 80 | 1 | 0 | 59 | 50 | 4.30 | |
2005 | 西 武 | 26 | 13 | 8 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | .619 | 677 | 158 | .2 | 179 | 13 | 31 | 8 | 121 | 4 | 0 | 81 | 71 | 4.03 |
2006 | 西 武 | 17 | 5 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | .714 | 334 | 75 | .1 | 92 | 11 | 19 | 6 | 50 | 4 | 0 | 41 | 39 | 4.66 |
2007 | 西 武 | 14 | 2 | 7 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .222 | 333 | 79 | .2 | 83 | 9 | 13 | 3 | 40 | 2 | 0 | 41 | 38 | 4.29 |
2008 | 埼玉西武 | 27 | 11 | 6 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | .647 | 724 | 174 | .2 | 169 | 13 | 38 | 5 | 115 | 5 | 0 | 59 | 51 | 2.63 |
2009 | 埼玉西武 | 25 | 9 | 6 | 0 | 0 | 5 | 2 | 2 | .600 | 692 | 163 | 175 | 10 | 40 | 5 | 126 | 3 | 0 | 70 | 65 | 3.59 | |
2010 | 埼玉西武 | 27 | 11 | 8 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .579 | 692 | 163 | .1 | 173 | 13 | 35 | 12 | 104 | 3 | 0 | 72 | 67 | 3.69 |
2011 | 埼玉西武 | 26 | 9 | 6 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | .600 | 691 | 168 | .2 | 172 | 10 | 34 | 8 | 102 | 2 | 0 | 59 | 53 | 2.83 |
2012 | 福岡ソフトバンク | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 15 | 2 | .2 | 5 | 0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 13.50 |
2013 | 福岡ソフトバンク | 19 | 8 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .533 | 413 | 98 | .1 | 98 | 5 | 40 | 6 | 46 | 1 | 1 | 50 | 50 | 4.58 |
2014 | 福岡ソフトバンク | 13 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .857 | 312 | 71 | .1 | 82 | 6 | 20 | 4 | 40 | 1 | 0 | 40 | 36 | 4.54 |
2015 | 福岡ソフトバンク | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 75 | 18 | .1 | 21 | 2 | 3 | 0 | 12 | 1 | 0 | 7 | 7 | 3.44 |
通 算 | 267 | 90 | 65 | 1 | 1 | 17 | 10 | 2 | .581 | 6026 | 1406 | .1 | 1521 | 117 | 388 | 71 | 937 | 31 | 3 | 671 | 609 | 3.90 |
【表彰】
・月間MVP:1回(2009年9月)
【引退特集】
▶︎地元福岡で引退を決意
帆足が引退会見 松坂ら引き留めも「福岡で終わろうと思った」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球
▶︎パパはこわい??
ソフトB帆足 引退会見で娘に質問コーナー パパは?「こわいです」 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
▶︎引退後は松坂の専属広報?
【その他の情報】
・漫画「ONE PIECE」の大ファンで、西武時代は高山久らとONE PIECE会を結成するほどで会長も務めていた。
・長髪がトレードマークだったが、2011年から選手会長就任したのを機にショートヘアにした。
・ウイニングショットのパームボールは、指が短くフォークボールを習得できなかった帆足が三井高校時代に必死にマスターし、生命線としていた。帆足のパームは軌道がスライダーに似ているため、スライドパームとも呼ばれる。