早大トリオ一番の出世頭!来季から広島の投手キャプテンとなる速球派右腕《福井優也》
【福井優也】
広島東洋カープ #11 | |
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2012年2月13日、沖縄市野球場にて
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県英田郡西粟倉村 |
生年月日 | 1988年2月8日(27歳) |
身長 体重 |
178 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト1位 |
初出場 | 2011年4月17日 |
年俸 | 4,200万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
【経歴】
①甲子園で優勝、準優勝を果たした済美高校時代
西粟倉小学校3年からソフトボールを始め、この頃からプロ野球選手になることを考えていた。
夏は野球、冬はクロスカントリーに明け暮れる生活を送っており、全国大会に出場した経験を持つ。
西粟倉中学校では兵庫県の硬式野球チーム「佐用スターズ」に入り2年から投手。
2003年、野球部監督の上甲正典を慕って愛媛県の済美高校に入学。
1年秋からエースとなり、同年11月の明治神宮野球大会東北高校戦で2安打完封勝利(7回コールド)を挙げる。
2004年の第76回選抜高等学校野球大会では大会史上初の「ナイターでの決勝」で愛工大名電に勝利し、創部2年での甲子園初出場初優勝の主力選手となった。
同年の第86回全国高等学校野球選手権大会では準優勝までの4試合で先発完投した。
決勝の駒大苫小牧戦では、風邪による体調不良ながら、自ら登板を志願した。
試合は強打の駒大苫小牧に打撃戦で敗れ、春夏連覇を逃した。大会後には日米親善高校野球のメンバーに選出された。
翌年の第87回全国高等学校野球選手権大会でも1勝をあげ、甲子園通算勝利9勝となった。
2005年の高校生ドラフト会議で読売ジャイアンツから4巡目で指名され、一旦は入団の意思を表明したが、その後拒否。
なお巨人からドラフト指名された選手の入団拒否は25年ぶりだった。
進学にあたっては、卒業後プロ入りできず社会人に進む場合には早稲田大学か慶応義塾大学が有利と考えるなか、早大野球部監督の慶武篤良に「早稲田一本で来るなら取る」と言われ、またドラフト前から誘われていことなどから最終的に早大を志望した。
しかし、推薦入試の締め切りに間に合わず、一般受験も不合格となる。
多くの大学から声が掛かったが結局浪人し、鳥取市内のトレーニング施設ワールドウイングに通って勉強とトレーニングに励んだ。
福井は「高校で酷使した肩を休めることもでき、充実した1年だった」と語っている。
2004年春準々決勝 東北vs済美 3/19 - YouTube
②Wエースの一角としてチームを支えた早稲田大学時代
早稲田大学スポーツ科学部トップアスリート選抜入試に合格。斉藤佑樹、大石達也らと同期で推薦入学し、野球部に入部。
斉藤とともに甲子園優勝投手は将来のダブルエースとして期待された。
福井は後に「斉藤と大石は目標であり自分を満足させなかったライバル。自分は3番目」と語っている。
1年春の東京六大学野球リーグ2戦目に先発登板するが3回途中でノックアウト、夏に右肩痛を発症しベンチ入りから外される。
この頃はマウンド上での態度が悪く投球に悪影響を与えていたが、周りからの指摘で改めたことで冷静に投球できるようになったという。
2008年5月31日、春季リーグ早慶戦1回戦に4番手でマウンドに上がり、2回を打者8人1安打無失点に抑えリーグ戦初勝利。
2009年春からは先発に定着。土曜日の初戦に斉藤、日曜日の2戦目に福井が投げるというローテーションだった。
4年次の2010年春からは早稲田のエース番号11を背負う。9月12日、秋季リーグ法政大学2回戦でリーグ戦初完投を記録し、通算10勝目を挙げた。
11月18日、明治神宮野球大会決勝の東海大学戦に先発し、6回を5安打1失点(自責点0)と好投し、優勝に貢献した。
2010年 神宮退大会 福井 優也(早稲田大) - YouTube
③プロ入り後、制球難に苦しむも先発ローテーションの一角となる
2010年10月28日、ドラフト会議にて広島東洋カープから1位指名を受ける。
福井は複数球団からの指名を期待していたため、悔しい気持ちもあったという。
ドラフトで広島以外に福井を指名する球団が現れなかった際に「もう無いじゃん....」と崩れ落ちる姿はテレビで報道された。
また大石達也が埼玉西武ライオンズ、斉藤佑樹が北海道日本ハムファイターズからそれぞれ1位指名を受けたことにより、
史上初の同一大学からの三投手1位指名となった。
▶︎2011年
4月17日の巨人戦でプロ入り初登板・初先発し7回を6安打2失点と好投し、球団史上8人目となるプロ初先発で初勝利を挙げた。
試合後のヒーローインタビューでは、勝利の喜びを誰に伝えたいかとの質問に「今日も来ている両親にありがとうと言いたいです」と普段ポーカーフェイスであるが、この日は涙を浮かべる場面もあった。
その3日後に2番目の兄を交通事故で亡くすという不幸に見舞われるも、「登板回避は兄の望むところではない」「かわいそうと思われたくない。僕のためにやります」と悲壮な決意を持って5月3日の横浜戦に臨み、見事6回2/3を1失点で抑えて2勝目。
8月25日には横浜戦で9回1失点で初の完投勝利を挙げた。
その後もシーズンを通して先発ローテーションを守り切り、27試合に登板し8勝10敗、規定投球回数も到達した。
しかし、一方では四球68と暴投11はリーグ最多であり、課題がはっきりとしていた1年だった。
▶︎2012年
開幕から先発ローテーションを任されるも昨年からの課題である制球難に苦しみ、5月6日にはプロ入り後初めて二軍落ちを経験した。
その後二軍で調整を続け、7月11日に再登録される。
中継ぎの登板を経て、7月28日の巨人戦で約3ヶ月ぶりに先発し6回1失点、勝敗付かずだった。
以後は中継ぎ登板のみで、ルーキーイヤーの前年に比べ大きく成績を落としシーズン2勝に終わった。
▶︎2013年
7回に投げるセットアッパー候補として開幕一軍入りしたものの、登板した3試合全てで失点し、4月6日に出場選手登録を抹消された。
その後も二軍と一軍を行き来し、最終的に12試合の登板で防御率8.69、0勝の成績に終わった。
また、シーズン終盤の10月3日中日戦で前田智徳の引退試合となったこの試合で先発として登板するも、中日打線に捕まり3回1/3に途中降板し、敗戦投手となった。
なお、この年は9月には父を亡くすという不幸にも見舞われている。
▶︎2014年
開幕を二軍で迎える。5月7日に一軍登録されるが、同日のヤクルト戦で5回6失点を喫し、二軍落ちとなる。
7月27日に再度一軍登録され、同日の阪神戦に先発として登板。
1回にわずか6球で1失点を喫するもその後は立ち直り、9回1失点に抑え2年ぶりの勝利となる完投勝利を挙げた。
その後は一軍に定着し、後半に限れば4勝4敗防御率3.76の成績を残し、「復活」の兆しを見せた。
▶︎2015年
先発ローテーションの5、6番手として開幕。
他投手との兼ね合いで登板予定を飛ばされることも多く、21試合で131回1/3を投げ規定投球回数にはわずかに及ばなかった。
それでもローテーションを守り抜き、自己最多の9勝を挙げ、防御率も3.56と好成績を残した。
しかし、規定投球回数未到達にも関わらず、四球55、暴投7でともにリーグ5位の多さで制球には課題が残った。
▶︎個人年度別成績はこちら(2015年シーズン終了)※太字はリーグ最多
年 度 | 所属球団 | 登 板 | 勝 利 | 敗 北 | セ │ ブ | ホ │ ル | 完 投 | 完 封 勝 | 無 四 球 | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 安 打 | 本 塁 打 | 四 球 | 死 球 | 三 振 | 暴 投 | ボ │ ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | |
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2011 | 広島東洋 | 27 | 8 | 10 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .444 | 640 | 146 | .1 | 133 | 14 | 68 | 8 | 120 | 11 | 2 | 76 | 67 | 4.12 |
2012 | 広島東洋 | 17 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .400 | 264 | 58 | .2 | 52 | 6 | 37 | 1 | 53 | 2 | 1 | 28 | 28 | 4.30 |
2013 | 広島東洋 | 12 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 98 | 19 | .2 | 29 | 1 | 11 | 1 | 14 | 1 | 0 | 23 | 19 | 8.69 |
2014 | 広島東洋 | 11 | 4 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .444 | 268 | 60 | 58 | 2 | 29 | 9 | 36 | 5 | 0 | 30 | 29 | 4.35 | |
2015 | 広島東洋 | 21 | 9 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .600 | 541 | 131 | .1 | 106 | 10 | 53 | 5 | 99 | 7 | 1 | 53 | 52 | 3.56 |
通 算 | 88 | 23 | 26 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .469 | 1811 | 416 | 378 | 33 | 198 | 24 | 322 | 26 | 4 | 210 | 195 | 4.22 |
【早大ドラ1トリオ特集!!!】
▶︎5年目終了を振り返る
プロ5年目まで終了 プロ入り後の“早大トリオ”を振り返る (ベースボールキング) - Yahoo!ニュース
▶︎3年目は3人とも0勝・・・
▶︎トリオの年俸推移
ドラフトでのフィーバーから4年…“早大トリオ”の年俸推移を振り返る | BASEBALL KING
【その他の情報】
・指名順位が低かったことが2005年のドラフトで巨人の入団を拒否した理由とされているが、本人はそのような言い方はしていないと否定。
甲子園に出場していない加登脇卓真が3位指名されたことにショックを受け、2003年のドラフトで4位指名され入団した平岡政樹が同年に戦力外となったことが、自分はプロで通用しないのではと自信を失うきっかけとなったと語っている。
一方、元報知新聞・巨人番記者でスポーツジャーナリストの鷲田康によると表向き「評価が低すぎる」と福井が入団を拒否したことになっているが、実は学校外でのやんちゃを理由に巨人から契約できないと通告されたのが真相という。
・早大監督の慶武篤良は、福井の性格について「一見、ふてぶしく見えるが、繊細で(同期の斉藤、大石と比べると)一番プロ向きの性格をしている」と語った。
また、広島スカウトの苑田聡彦も「早大の3人(斉藤・大石・福井)の中で一番闘争を感じた」と印象を述べている。
【その他の広島の選手情報】