プレミア12 準決勝で逆転タイムリー!!2015年日本シリーズMVP!! 鷹の主砲《李大浩》
【李大浩】
福岡ソフトバンクホークス #10 | |
---|---|
2014年4月13日 福岡ヤフオク!ドーム
|
|
基本情報 | |
国籍 | 大韓民国 |
出身地 | 釜山広域市 |
生年月日 | 1982年6月21日(33歳) |
身長 体重 |
194 cm 130 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手、三塁手 |
プロ入り | 2000年 2次ドラフト |
初出場 | KBO / 2001年9月19日 NPB / 2012年3月30日 |
年俸 | 5億円(2015年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
|
|
国際大会 | |
代表チーム | 大韓民国 |
五輪 | 2008年 |
WBC | 2009年、2013年 |
【経歴】
①プロ入り前
幼少期の頃に父が死去し、母とも別れ祖母に育てられた。
小学校の時から野球をしており、慶南高校時代は投手兼4番としてプレー。
2000年、カナダのエドモントンで行われた世界青少年野球大会に韓国代表の投手として選出され、チームを優勝に導く。
大会通じて打率.500(30打数15安打)、3本塁打を記録。打率はアメリカ代表のジョー・マウアーに次ぐ大会第2位の成績だった。
②韓国時代
2001年にロッテ・ジャイアンツに入団した。肩を痛めたことにより打者に転向。
▶︎2002年
当時の監督から体重の減量を命じられ、無謀な訓練中に膝を怪我した。李大浩はこの時期が野球人生で一番辛かったと回想している。
▶︎2003年
膝の怪我の影響で出場機会が少なかった。
▶︎2004年
レギュラーに定着。
▶︎2005年
KBOオールスターゲーム最優秀選手賞を受賞し、公式戦126試合に出場した。
▶︎2006年
首位打者、本塁打王、打点王を獲得し、22年ぶりとなる三冠王となった。
得点圏打率も.398と最も高く、一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞した。
しかし、最優秀選手投票ではチーム成績が7位と悪かったことと、本塁打・打点の数が低かったことがあだとなり、最優秀選手賞(MVP)の受賞は逃した。
▶︎2007年
4月21現代ユニコーンズ戦では社稷野球場初となる推定飛距離150mの場外本塁打を記録。
最終的に打率.335、29本塁打、87打点、OPS1.053を記録した。
▶︎2008年
アメリカ合衆国戦、日本戦(和田毅から2点本塁打)、オランダ戦で本塁打を1本ずつ記録し、大会3本塁打を記録。
大会通じて打率.360・10打点と国際大会でもその打撃力は発揮された。
▶︎2009年
第2回WBC韓国代表に選出される。しかし、大会通じて打率.278、打点5と目立った成績は残せなかった。
レギュラーシーズンではWBC代表に選出された選手が相次いで戦線を離脱する中、4年ぶりとなる全試合出場を果たした。
チームは前年の3位から4位に順位を下げたこともあり、契約更改では年俸の削除対象とされたが、3000万ウォンの年俸増を勝ち取った。
▶︎2010年
8月14日の起亜タイガース戦で世界記録となる9試合連続本塁打を放った。
8月20日の斗山ベアーズ戦では自身初のシーズン40本塁打を放つ。
最終的に打率.364、44本塁打、133打点で自身4年ぶり2度目(韓国球界初)となる打撃三冠王を達成。
その他、安打数・出塁率・長打率・得点まで7部門でトップを記録するなど、プロ入り後最高の成績を収め、レギュラーシーズン最優秀選手(MVP)にも選ばれた。
▶︎2011年
KBOに年俸調停を申請し調停委員会が開かれたが、本人が要求した7億ウォンではなく、球団側が提示した6億3000万ウォンの年俸が通った。
レギュラーシーズンでは打率.357、27本塁打、113打点、OPS1.011という好成績を残したが、最優秀選手賞(MVP)の受賞は逃した。
▶︎韓国での個人年度別成績はこちら(2011年シーズン終了時点)※太字はリーグ最多
年度 | 打率 | 試合 | 打数 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 得点 | 四球 | 死球 | 三振 | 盗塁 |
2001 | .500 | 6 | 8 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 |
2002 | .278 | 74 | 255 | 71 | 19 | 0 | 8 | 32 | 27 | 19 | 7 | 66 | 1 |
2003 | .243 | 54 | 152 | 37 | 6 | 0 | 4 | 13 | 8 | 13 | 6 | 37 | 0 |
2004 | .248 | 132 | 444 | 110 | 26 | 0 | 20 | 68 | 52 | 38 | 20 | 78 | 4 |
2005 | .266 | 126 | 447 | 119 | 16 | 2 | 21 | 80 | 53 | 47 | 15 | 76 | 1 |
2006 | .336 | 122 | 443 | 149 | 26 | 0 | 26 | 88 | 71 | 39 | 16 | 55 | 0 |
2007 | .335 | 121 | 415 | 139 | 21 | 1 | 29 | 87 | 79 | 81 | 13 | 55 | 1 |
2008 | .301 | 122 | 435 | 131 | 23 | 0 | 18 | 94 | 73 | 62 | 18 | 56 | 0 |
2009 | .293 | 133 | 478 | 140 | 28 | 1 | 28 | 100 | 73 | 51 | 16 | 65 | 0 |
2010 | .364 | 127 | 478 | 174 | 13 | 0 | 44 | 133 | 99 | 61 | 10 | 77 | 0 |
2011 | .357 | 133 | 493 | 176 | 26 | 1 | 27 | 113 | 76 | 63 | 8 | 60 | 2 |
通算 | .309 | 1150 | 4048 | 1250 | 204 | 5 | 225 | 809 | 611 | 475 | 129 | 627 | 9 |
③オリックス時代
2011年オフ、FA宣言。
同年12月5日、日本プロ野球(NPB)のオリックス・バファローズへの移籍が発表された。(2年契約)。
当初希望していた背番号10は大引啓次、52はバルディリスとすでに主力選手が使用していた為、
新人の佐藤達也に与えられた背番号「25」となった。
▶︎2012年
開幕戦で4番を務める。開幕15試合目にして初の長打、17試合目にして初本塁打を記録する等、3・4月は月間打率.233と開幕当初は日本の野球への順応に苦労した。
しかし、5月に入ると緩やかに調子を上げていき、3試合連続本塁打やNPB初のサヨナラ打を放つ等5月は月間打率.322、8本塁打19打点の活躍で月間MVPを受賞した。
その後も6月2日の巨人戦では1試合4安打、7月も打率.338、7本塁打18打点の活躍で、2度目の月間MVPを受賞した。
8月以降は疲労からかやや調子を落としていったが、2度目のサヨナラ打を放つ等、随所で勝負強い打撃を発揮し続けた。
最終的には全試合で4番打者として出場し、打率.286、24本塁打91打点の成績で打点王のタイトルを獲得し、最下位に喘いだチームにあって主軸として奮闘する働きを見せた。
▶︎2013年
2月、大引が日本ハムにトレードされたことを受けて、背番号をかねてから希望していた10に変更。
公式戦の開幕前には、NPBの球団に所属する韓国人選手でただ1人第3回WBC韓国代表に選出された関係で春季キャンプに参加できなかった。
韓国代表は1次ラウンドで敗退したため、3月10日にはオリックスへ合流しオープン戦の終盤から、NPBの実践に復帰している。
9月28日の日本ハム戦でNPBで初の満塁本塁打を放つなど、前年に続いて下位に低迷するチームの4番打者として奮闘した。
シーズン通算ではNPB初の打率3割と2年連続の24本塁打・91打点を記録。
シーズン終了後には、李大浩の意向を受けた代理人が、李大浩の残留を希望するオリックスの交渉を重ねた。
しかし、条件面で折り合いが付かなかったことから、交渉の決裂と李大浩の退団が発表された。
2013.09.21 Bs9-6L 両軍12安打ずつもオリックス李大浩の活躍で逆転勝ち - YouTube
④ソフトバンク時代
2013年12月24日に、福岡ソフトバンクホークスが李大浩の獲得を発表した。
補償額は2年総額9億円(推定金額)で、3年目は李大浩が選択権を保有する契約。
背番号は同年からオリックスで着用していた10に決まった。
▶︎2014年
全試合に4番として出場し、ソフトバンクのリーグ優勝と日本一に貢献。自身初の優勝経験となった。
個人成績では6月に打率4割を記録して月間MVPを受賞。最終的に来日後最多となる170安打(リーグ2位)を放つ。
しかし、好機には弱く、得点圏打率.244と伸び悩み、打点や本塁打が前年より減少した。
▶︎2015年
工藤公康新監督が就任。工藤新監督は李大浩の打点量産を期待し、内川聖一を4番で起用し、李大浩を5番で起用する方針となった。
8月13日のオリックス戦では内川が欠場したため、この年初の4番で起用され、25号3ラン本塁打を含む2安打4打点の活躍でチームの勝利に貢献。
最終的に打率は前年より少し下がったものの31本塁打、98打点と期待に応える活躍を見せた。
10月10日に、第1回WBSCプレミア12の韓国代表選手28名に選出されたことが発表された。
日本シリーズではシリーズ開幕前に肋骨骨折が発覚し欠場した内川の代わりに4番に座り、5試合で16打数8安打2本塁打と活躍し、シリーズMVPを獲得。
10月31日には日刊スポーツの報道に対し、一部で報道されていたMLB挑戦を否定する発言をしていたが、11月3日にはメジャー挑戦を明言した。
10 25【4番 イデホの大きい一発!】ソフトバンク・李 大浩이대호 日本シリーズ第1号 先制ツーランホームラン vs東京ヤクルトスワローズ - YouTube
▶︎NPBでの個人年度別成績はこちら(2015年度シーズン終了現在)※太字はリーグ最多
年 度 | 所属球団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 刺 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 長 打 率 | 出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012 | オリックス | 144 | 601 | 525 | 54 | 150 | 25 | 2 | 24 | 251 | 91 | 0 | 2 | 0 | 5 | 64 | 7 | 85 | 18 | .286 | .478 | .368 |
2013 | オリックス | 141 | 593 | 521 | 60 | 158 | 27 | 0 | 24 | 257 | 91 | 0 | 0 | 0 | 2 | 64 | 6 | 80 | 20 | .303 | .493 | .384 |
2014 | 福岡ソフトバンク | 144 | 625 | 566 | 60 | 170 | 30 | 0 | 19 | 257 | 68 | 0 | 3 | 0 | 3 | 46 | 10 | 97 | 18 | .300 | .454 | .362 |
2015 | 福岡ソフトバンク | 141 | 584 | 510 | 68 | 144 | 30 | 0 | 31 | 267 | 98 | 0 | 1 | 0 | 3 | 62 | 9 | 109 | 17 | .282 | .524 | .368 |
通 算 | 570 | 2403 | 2122 | 242 | 622 | 112 | 2 | 98 | 1032 | 348 | 0 | 6 | 0 | 13 | 236 | 32 | 371 | 73 | .293 | .486 | .370 |
【タイトル】
・首位打者:3回(2006年、2010年、2011年)
・本塁打王:2回(2006年、2010年)
・打点王:2回(2006年、2010年)
・最高出塁率:2回(2010年、2011年)
・最多安打:2回(2010年、2011年)
・打点王:1回(2012年)
【表彰】
・MVP:1回(2010年)
・ゴールデングラブ賞:4回(2006年、2007年、2010年、2011年)
・オールスターゲームMVP:2回(2005年、2008年)
・日本シリーズMVP:1回(2015年)
・ベストナイン:1回(2012年)
・月間MVP:4回(2012年5月、2012年7月、2014年6月、2015年5月)
【記録】
・三冠王:2回(2006年、2010年)
【残留宣言から一転!MLB挑戦表明!!】
▶︎夢への挑戦!!
李大浩 メジャー挑戦へ!ソウルで会見「最後に夢に挑戦したい」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球
▶︎出戻りの可能性も!?
「残留」って言っていたのに…李大浩メジャー挑戦表明「出戻り」も ― スポニチ Sponichi Annex 野球
▶︎5億より夢!
【一問一答】メジャー進出を宣言した李大浩、韓国ソウルで会見 (WoW!Korea) - Yahoo!ニュース
【その他の情報】
・李大浩と秋信守(チュ・シンス)は幼なじみである。李大浩は秋信守に勧められて野球を始めた。
高校時代に秋は釜山高校のエース兼4番打者であり、李は慶南高校のエース兼4番打者であった。二人は友達でありながらライバルだった。
李大浩は秋信守について「他の選手とはレベルが全然違って野球の神様だと思った。小学生の時から秋信守はすごい選手で俺の英雄だった」とコメント。
・韓国時代から慈善事業に力を入れている人物であり、寄付天使と言われたことがあるそうである。
・韓国時代の愛称は、大きな子供