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2016年開幕投手の150キロ左腕!母子家庭で育った苦労人 中日のエース《大野雄大》

          【大野雄大

中日ドラゴンズ #22
20130629 Yudai Ohno, pitcher of the Chunichi Dragons, at Yokohama Stadium.JPG
2013年4月21日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市伏見区
生年月日 1988年9月26日(27歳)
身長
体重
183 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト1位
初出場 2011年10月14日
年俸 4,500万円(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
 
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本代表

 

 

【経歴】

 

①リーグ戦16連勝など大学NO.1左腕と言われる活躍を見せた佛教大学時代

 

京都府京都市伏見区出身。

砂川小学校5年時にスポーツ少年団に入団し野球を始め、6年からは投手を務める。

京都市立藤森中学校では軟式野球部に所属。2年時の練習試合で四球を連発して試合を壊してしまい、不甲斐なさや悔しさから野球を辞めようと考えていたが、チームメイトの励ましで立ち直りその後は必死に練習するようになった。

大野はこの試合が投手としての第一歩になったと語っている。それまで外野手との兼任だった投手に専念し、3年夏に京都市大会で優勝した。

その頃から京都の軟式野球界では名の知れた存在となっていた。

 

大野は母子家庭だったこともあって公立の鳥羽高校への進学を考えていたが、三原信二郎が野球部監督を務める京都外大西高へ誘われて入学。

2年春からベンチ入りし、チームは夏の甲子園に進出。しかし、この大会では登板機会はなかった。

2年秋からの新チームは先発を任される機会が増え、3年春の選抜の初戦で東海大相模に敗れたものの甲子園初先発を果たした。

3年夏は京都大会準決勝で福知山成美に敗れた。

 

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2006年春 大野雄大 - YouTube

 

高校では監督から「ちゃらんぽらんな人間」と言われ続けていたため、「野球人としても人間としても成長できる

と勧められて佛教大学に進学。

1年春からベンチ入りし、秋の近畿大学戦では145km/hを記録。

単位を落としたため2年春から半年間は佛教大のルールにより練習や試合に出場出来なかった。

 

2年秋からは先発ローテションに定着し、1年秋から4年春まで続く16連勝の活躍で3季連続でリーグMVPとベストナインを獲得する。

4年時には6月の全日本大学野球選手権大会に初戦で強豪東北福祉大学を2安打完封し、大学No.1左腕として頭角を現す。

京滋リーグでは通算24試合に登板し18勝1敗の成績を残した。全国大会における活躍で斉藤佑樹大石達也澤村拓一とともに「大学球界BIG4」と称される。

 

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【2010ドラフトの目玉】 大野 雄大(佛教大学) 【速球勝負】 - YouTube

 

 

 ②プロ入り後、3年連続2桁勝利を挙げるなど中日のエースに成長

 

2010年8月に肩を痛めてからは登板ができず、ドラフトで指名を回避されるかもしれないという不安感を持っていたが、中日ドラゴンズから1位指名を受けて入団。

背番号は憧れで目標とする藤川球児と同じ「22」に決定。

  

▶︎2011年

ルーキーイヤーの合同自主トレ・沖縄キャンプは左肩のリハビリに費やし、3月末から本格的な投球練習を開始。

6月末のプロアマ交流戦で実践デビュー。満塁本塁打を打たれたものの、その後はファームで先発の一角として活躍。

10月8日のファーム日本選手権では先発に抜擢され5回無失点で勝利投手となり、優秀選手賞を獲得した。

その後一軍昇格し、10月14日の巨人戦に初登板初先発するものの、4回7失点とプロの洗礼を浴びる結果となった。

 

▶︎2012年

7月11日の阪神戦では自身2回目の先発投手として登板し、5回1/3を7安打1失点に抑えてプロ初勝利を挙げた。

この年は8試合に先発して4勝3敗と、ローテーションの谷間の先発として存在感を発揮。

クライマックスシリーズファイナンスステージは、初戦に先発して制球に苦しみながらも勝利投手となった。

オフの11月6日に、侍ジャパンマッチ2012「日本代表VSキューバ代表」」の日本代表入りした。

11月26日に大学時代の同級生と結婚

 

▶︎2013年

先発投手として一軍に定着し、初めて規定投球回に到達した。また、自身初の2桁勝利を記録した。

オフの11月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本VSチャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。

 

▶︎2014年

オープン戦から好調を維持していたが、川上憲伸との開幕投手争いに敗れる。

開幕後も勝ち星に恵まれず、4月26日のヤクルト戦では1回5失点で降板。これが首脳陣の怒りを買い、試合中に名古屋へ帰るように言われてしまい二軍落ちするなど、2度の二軍降格を経験した。

7月25日の読売ジャイアンツ戦ではプロ入り4年目で自身初の無四球完封勝利をおさめた。

最終的には2年連続の2桁勝利をマークし、10敗を喫した前年から負け数を減らし貯金を2つ作った。

 

▶︎2015年

開幕から先発の柱として活躍し、5月はリーグ唯一の4勝、防御率2.39、1完封の活躍で5月度月間MVPを受賞した。

前半戦だけで藤浪晋太郎に並ぶリーグトップの9勝を挙げる活躍を果たした。

しかし後半戦は2勝と勝ち星に恵まれず、11勝10敗でシーズンを終えた。それでも3年連続2桁勝利を達成した。

また、防御率は2年連続2点台と安定した投球を見せた。

第1回WBSCプレミア12の日本代表、最終ロースター28名に選出された。

 

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中日ドラゴンズ2014 7月25日 vs巨人 大野雄大 プロ初完封 巨人打線を5安打 無四球 完封勝利 - YouTube

 

▶︎個人年度別成績はこちら(2015年シーズン終了現在)※太字はリーグ最多


 
所属球団
 

 

 





 





 

 


 
 



 

 

 

 



 




2011 中  日 1 0 1 0 0 0 0 0 .000 22 4   9 2 1 0 2 1 0 7 6 13.50
2012 中  日 9 4 3 0 1 0 0 0 .571 188 44 .2 40 1 14 3 41 3 0 15 13 2.62
2013 中  日 25 10 10 0 0 1 0 1 .500 624 146 .1 151 12 43 5 117 3 0 65 62 3.81
2014 中  日 25 10 8 0 0 3 1 1 .556 682 165   156 14 47 6 119 3 0 60 53 2.89
2015 中  日 28 11 10 0 1 6 3 1 .524 826 207 .1 169 12 47 3 154 1 0 67 58 2.52
  通 算 88 35 32 0 2 10 4 3 .522 2342 567 .1 525 41 152 17 433 11 0 214 192 3.05

 

【表彰】

・月間MVP:1回(2015年5月)

 

 

【その他の情報】

 

・祖父の影響を受け、子どもの頃から阪神ファンだった。そのため大学時代は自身の携帯電話にトラッキーのストラップをつけていたが、ドラフトで中日に指名されて以降は外した。

 

・大学時代に野球の練習後、家計を助けるためにガソリンスタンドで週に2・3回、深夜2時~5時までアルバイトをしていた。

 

・世界大学野球日本代表に落選した際は、候補合宿から帰る新幹線内で泣き通したほど落ち込んだが、その後ハーレム国際大会に参加。

「こっちもジャパンのユニホームですから。キューバを倒してきますよ」と語り、言葉通りキューバから2失点完投勝利を挙げた。

この経験を通じて「代表から外れて良かった。この大会に出たことで目標が『メジャーリーガー』に変わりましたから。自身を支えてくれた家庭や監督、選手の目の届く場でプレーして喜んでもらって、実績を積んでからメジャーに行きたい」と思ようになったという。

 

・2010年12月には京都府北警察署の2011年啓発ポスターのイメージキャラクターに起用されることになった。

ポスターは「安全、安心にストライク」の標語と佛教大時代の投球フォーム写真を組み合わせたものであった。