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涙のFA宣言で楽天へ!2度も日本シリーズMVPを受賞したお祭り男《今江敏晃》

         【今江敏晃

東北楽天ゴールデンイーグルス #8
Toshiaki Imae.jpg
ロッテ時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府向日市
生年月日 1983年8月26日(32歳)
身長
体重
180 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 2001年 ドラフト3巡目
初出場 2002年4月28日
年俸 2億円+出来高(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2006年

 

 

【経歴】

 

①プロ入り前

 

少年野球チームは向陽オックスに所属。

中学3年生の時は、全日中学野球選手権大会 ジャイアンツカップで全国優勝を果たす

また、ボーイズリーグの世界選抜として世界大会でも優勝

 

 

PL学園高で1年生時から4番に座り、2000年の夏の甲子園に出場するも、3回戦で敗退。

当時の同級生には朝井秀樹桜井広大小斉祐輔らがいる。また1学年上に中尾敏浩がおり、二遊間を組んだ。

高校通算本塁打は30本。

 

www.youtube.com

2000年夏 PL学園-智弁和歌山(1) - YouTube

 

 

②プロ入り後

 

2001年のドラフト会議で千葉ロッテマリーズから3巡目指名を受け、入団。

背番号は、PL学園高出身の先輩の得津高宏がかつていた「25」。

 

 

▶︎2002年

4月30日に遊撃手で一軍初スタメン出場

その後二軍落ちを経るが一年目から二軍のレギュラーを獲得。

後半一軍に再昇格し、プロ初安打を放った。

 

▶︎2003年

フレッシュオールスターに出場。

1-3でリードされた8回裏に一死満塁のチャンスで逆転の走者一層の三塁打を打つ活躍で、MVPに選出された。

 

▶︎2004年

遊撃手のレギュラーに小坂誠がいたため、強肩を生かして外野手へのコンバートを打診されたが、内野手をやりたいという自身の希望で三塁手にコンバート

初芝清マット・フランコらと三塁手のレギュラーを争う活躍を見せ、6月にはプロ初本塁打を記録。

しかし、投球を手に受けたことによる故障で41試合の出場に留まった。

 

▶︎2005年

背番号をかつて「ミスターロッテ」と呼ばれ、三塁手でもあった有藤道世が背負っていた「8」に変更。

9番三塁手として初の開幕スタメンを果たす。

三塁手としてレギュラーに定着すると、一気にチームトップとなる132試合に出場。

球団史上歴代5位となるシーズン22試合連続安打を記録、8月の月間打率は4割を越え一時はリーグ1位に。

その後も調子を維持し初の規定打席と3割に到達。またこの年のパリーグ最多二塁打となる35を記録。

日本シリーズでは、第1戦・第2戦で8打席連続安打、シリーズ打率.667と新記録を達成し、日本シリーズMVPにも選出された。

こうした活躍を高く評価され、三塁手部門ベストナインと初のゴールデングラブ賞を受賞。

 

▶︎2006年

開幕前の3月に、第1回WBCの日本代表に選出された。この大会では、5試合に出場し4打点を挙げ、世界一に貢献。

シーズンでは前半は2番に起用されることが多かったが、調子の波が激しく打撃が安定しなかった。

三塁のレギュラーは守ったものの結局最後まで不調に終わり、打率を大きく下げた。

最後のパリーグ東西対抗にて3ランを含む3安打でMVPとなる。この年も連続でゴールデングラブ賞を受賞。

 

▶︎2007年

5月に左手有鈎骨を骨折したのもあり、前年同様の打撃不振に陥り打率.249とさらに下げた。打順はほとんど8番か9番。

故障により守備面でも不安があり堀幸一青野毅にポジションを譲ることもあったが、ゴールデングラブ賞を3年連続で受賞。

 

▶︎2008年

前2シーズンと打って変わって打撃好調を維持し、9月7日までに打率.309、12本塁打、55打点を挙げた。

しかし、同日のソフトバンク戦で死球を受け右尺骨骨折し、登録抹消。結局一軍復帰を果たせぬままシーズン終了となった。

この年は打撃は好調だったものの守備では若干成績は落とし、特に捕殺と併殺参加数は前シーズンまでと比べて少なかった。

併殺参加数は2006年はリーグトップの24個だったがこの年はリーグ最小の4個しか記録できず。ワースト2位の草野大輔も13個記録していることからも少なさが分かる。

それでもゴールデングラブ賞を4年連続で受賞した。

 

▶︎2009年

7月5日、西村徳文コーチがボビー・バレンタイン監督よりスタメンを告げられる際に、本来三塁で先発出場する予定だった今江の愛称である「ゴリ」と「堀」を聞き間違えてしまい、堀幸一が2年ぶりにスタメン三塁で出場する珍事があった。

結局掘りは第1打席で犠牲フライを放ったのち、3回表の守備より今江と交代した。

チーム4位の60打点を記録したものの、打率は.247と低調に終わった。

2005年から受賞していたゴールデングラブ賞小谷野栄一に譲ってしまった。

 

▶︎2010年

シーズン序盤は9番打者であったが、萩野貴司の故障後は2番に抜擢され、自己最多(リーグ3位)の犠打数を残した。

シーズン終盤は、清田育宏が2番に定着すると、5番や6番を任された。

打率はリーグでも3位の.331と好調、本塁打を除いて自己最高のシーズンを送り、チームのクライマックスシリーズ進出にも貢献した。

日本シリーズでも打率.444を記録し、2度目の日本シリーズMVPを獲得した。

 

▶︎2011年

統一球の影響もあり、打率.269・8本・21打点と成績を落とした。

 

▶︎2012年

チームの主将に就任。

前半戦は好調だったものの持病の腰痛の悪化もあり、徐々に成績を下げ8月以降はルーキーの鈴木大地との併用になることもあった。

最終的には打率.253・6本・47打点とさらに成績を下げた。

 

▶︎2013年

主将の座をわずか1年で岡田幸文に譲った。

5月15日の巨人戦ではプロ入り後初の4番打者に入ると、そこからは4番に定着。

本塁打こそ年間10本とクリーンアップとしては少なかったが、打率は.325パリーグ2位、守備率も三塁手リーグ1位の.969を記録し、攻守にわたりチームのクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。

この年には海外FA権を取得したが、シーズン終了後の球団との契約交渉では権利を行使しないまま新たに2年契約を結んだ。

 

▶︎2014年

ふくらはぎの筋膜炎で開幕に間に合わず、4月1日の本拠地開幕戦から一軍に復帰した。

しかしわずか2週間後に腰痛で登録抹消となるなどシーズンを通して体のコンディションに苦しんだ。

打撃も前年に比べて安定せず、2番から9番まであらゆる打順で起用された。

 

▶︎2015年

オープン戦打率.313を記録。

前年のシーズン中盤から4番を打っていたアルフレド・デスパイネがシーズン途中まで不在だった関係で、公式戦の開幕から4番打者を任された。

5月23日のオリックス戦では本塁打、6月3日の阪神戦では単打を放てばサイクルヒットを記録できる状況で最終打席を迎えたが、いずれも達成に至らなかった。

7月14日のオリックス戦で、死球を受けて左手を骨折。9月11日の同カードで一軍復帰するまで、約2ヶ月間の戦線離脱を余儀なくされた。

なお、7月16日には第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補へ選ばれた。

しかし、最終ロースターに残らなかったため、11月開催の大会には出場していない。

 

www.youtube.com

05年日本シリーズ 今江8打席連続安打記録達成 - YouTube

 

▶︎個人年度別成績はこちら(2015年度シーズン終了)※太字はリーグ最多


 
所属球団
 

 

 

 

 







 

 

 



 

 

 

 

 



 




2002 千葉ロッテ 15 25 25 0 5 3 0 0 8 2 0 0 0 0 0 0 7 1 .200 .320 .200
2003 千葉ロッテ 5 6 6 0 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 2 0 .333 .500 .333
2004 千葉ロッテ 41 149 136 12 35 8 2 1 50 18 0 1 3 2 5 3 21 1 .257 .368 .295
2005 千葉ロッテ 132 509 461 58 143 35 3 8 208 71 4 1 10 5 22 11 62 16 .310 .451 .353
2006 千葉ロッテ 126 489 457 49 122 25 2 9 178 47 3 2 11 3 17 1 74 9 .267 .389 .293
2007 千葉ロッテ 102 338 305 32 76 14 2 9 121 42 0 0 12 4 13 3 55 8 .249 .397 .283
2008 千葉ロッテ 117 450 405 57 125 37 4 12 206 55 3 1 14 6 19 6 48 7 .309 .509 .344
2009 千葉ロッテ 113 441 409 35 101 19 2 9 151 60 2 3 12 2 12 6 60 17 .247 .369 .277
2010 千葉ロッテ 140 596 531 74 176 37 1 10 245 77 8 3 30 5 22 8 66 10 .331 .461 .364
2011 千葉ロッテ 134 543 499 53 134 30 1 8 190 51 2 1 10 6 20 8 48 13 .269 .381 .304
2012 千葉ロッテ 136 501 446 45 113 21 3 6 158 47 0 3 23 8 19 5 37 15 .253 .354 .287
2013 千葉ロッテ 132 551 508 44 165 26 0 10 221 74 5 2 2 11 26 4 45 12 .325 .435 .355
2014 千葉ロッテ 120 478 445 48 120 23 3 10 179 54 1 1 4 1 23 5 43 13 .270 .402 .312
2015 千葉ロッテ 98 400 373 40 107 18 4 1 136 38 2 2 0 2 16 9 35 17 .287 .365 .330
  通 算 1411 5476 5006 547 1424 297 27 93 2054 637 30 20 131 55 214 69 603 139 .284 .410 .319

 

【表彰】

ベストナイン:1回(2005年)

ゴールデングラブ賞:4回(2005~2008年)

JA全農Go・GO賞:1回(最多二・三塁打賞:2005年8月)

日本シリーズMVP:2回(2005年、2010年)

フレッシュオールスターゲームMVP(2003年)

・ゴールデンスピリット賞(2015年)

千葉市市民栄誉賞(2006年)

 

 

日本シリーズ記録】

・初打席本塁打:2005年10月22日、1回裏に井川慶から ※史上13人目

・最多連続打席安打:8本(2005年10月22日-23日)

・最多連続打数安打:8本(2005年10月22日-23日)

・1試合最多安打:4本(史上20人目22、23回目)(2005年10月22、23日)

 

 

【来季から新天地、楽天へ!!】

  

2015年でロッテとの2年契約が満了したことを受けて、同年シーズン終了後の11月10日に、海外FA権を行使することを表明。

翌11日には、NPBから海外フリーエージェント宣言選手として公示された。

ロッテでは球団の方針でFA権行使表明選手の残留を認めていないため、同じパ・リーグ東北楽天ゴールデンイーグルスが、公示を機に今江の獲得交渉を開始。

11月27日には、今江との契約で合意に達したことを発表した。

 

 

▶︎東北で新たな歴史の1ページを!

楽天 FA今江と契約合意(2015年11月27日(金)掲載) - Yahoo!ニュース

 

▶︎涙でファンに別れ

涙でファンに別れ…「“ロッテの今江敏晃”としては最後の日」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

 

▶︎星野さんが頭を下げた!

今江感激!星野副会長が頭下げた 楽天入りスピード決着へ ― スポニチ Sponichi Annex 野球

 

 

【その他の情報】

 

・ゴリという愛称からファンからバナナをプレゼントされたことがある。しかし、今江の好物はソーセージであり、公式サイトの好きな食べ物の蘭にソーセーにと書くほど。

 

・ピアノが上手で、母校の卒業式に訪れてピアノを演奏したことがある。

 

 

【その他の楽天選手情報】

 

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